どうぞ、ここで恋に落ちて
そんな私の様子を楽しむみたいに、基さんの丸い目がどんどんかまぼこのような形に歪んでいく。
「あいつ、『旧訳がよかった』とかってぶつぶつ文句言いながら買ってったわりに、その後やたらとその女の子の話ばっ……」
あ、もしかして樋泉さん、私が『砂糖とスパイス』を好きだと言ったあと、このお店であの本を購入したんだろうか。
基さんの話を聞きながら、そんな考がハッと頭の中に浮かぶ。
ようやく話が読めてきて、うんうんと頷きながら先を促したとき……。
「きゃっ」
少しひんやりした手のひらが、後ろから私の両耳を優しく覆う。
「それ以上聞かなくていい」
身体の芯を震わせる滑らかで低い樋泉さんの声が、ちょっと拗ねたような甘い響きを含んで耳元をくすぐった。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
全身の熱がそこに集まってきて、樋泉さんに触れられているところが沸騰したみたいに熱くなるのがわかった。
「あんまりからかうと怒るぞ。いつまで握ってるんだよ」
軽く耳元を覆う手のひらの向こう側で樋泉さんが文句を言うのが聞こえると、ニヤニヤした基さんが、成り行きから私の手に添えられたままだった手をパッと離した。