恋人
見上げるとそこには見覚えのある顔があった。
私の記憶が確かなら七瀬くんだ。
体育館の入り口の上には2階部分に窓があり、彼はそこから身を乗り出してこちらを見下ろしていた。
突然話しかけられて、しかも彼の話をしていたのを聞かれた恥ずかしさもあり、あたしはただただ彼の顔を凝視していた。
「香田愛栄(コウダ アサカ)ちゃんだよね?俺は七瀬優希」
私の記憶は確かだった。
彼はいつから私たちの話を聞いていたんだろう。
「名前間違えられるから覚えられてないのかと思ったよ」
彼はアイドルみたくニコッと笑った。
とても絵になる笑顔なのになぜか私は自分の顔が凍りつくのを感じた。
助けを求めようととなりを見たが、このみは目をハートにさせながら口をあけて立ち尽くしている。
「えーと...となりは何ちゃん?」
視線が私からこのみに移ったことで、このみははっとしたように口を開いた。
「ににに、に西野このみです!」
このみはかろうじて声を裏返しはしなかったものの、マンガのように噛んでいた。
え...?
このみあれだけイケメン好きとか言ってるからコミュニケーション高く話すのかと思ってたが、実は...
「へぇ、このみちゃん。可愛いね」
ボンッという音が聞こえた気がした。
このみはとなりで顔を真っ赤にしながら固まっていた。
......どうやら彼女はピュアそのものだったらしい。
今の彼女は普段の饒舌さのカケラもない。
「...で、君は無視?香田さん」
ふたたび視線がこちらに戻ってきたことで、このみに対するからかいを忘れて、何と彼に返せばいいかで頭はいっぱいになってしまった。
「ど、どうも」
一瞬のうちに必死に考えた返しがこれだ。
もう、自分の語彙力のなさに赤面する。
「どうも」
”どうも”の前に、フッと聞こえてきそうな笑みを彼は浮かべた。
「俺の顔は覚えていたようで安心したよ。いつぞやはお世話になりました」
「あ、いや、その別にお礼を言われるようなことは何も...」
「いやいやいや、仮に君が、俺が落とした生徒手帳を雨上がりの水たまりへ向かって蹴っ飛ばしてそれをまたさらにドロドロの靴で踏んづけて、そのうえ自己紹介をし合ったのに名前すらしっかり覚えられてないなんてことがあったとしても、仮にあったとしても、生徒手帳を拾ってくれたんだ、感謝しないわけにはいかないよ」