溺愛オフィス


ここを桜庭さんが通ってしまっていたら、もう会えない。

気持ちばかりが焦るせいで視点が定まらず、桜庭さんがいたとしても、ちゃんと見つけられるかも怪しくなってきて。

いっそ、彼の名を叫んでしまいたい焦燥にかられた瞬間──


"蓮井"


桜庭さんの声が、聞こえた気がした。

もしかしたら幻聴ではないのかと、不安な気持ちで彼の姿を探し振り返ると……


「どうしてここにいるんだ?」


そこ立っているのは、確かに桜庭さんで。


「さく、らばさん……良かった……」


まだ、いてくれた。

気が緩み、鼻がツンとなるのを感じて、私は唇を噛み締めた。


そんな私を桜庭さんは不思議そうに私を見つめ、仕事でトラブルでもあったのかと問いかけてくる。


「違うんです。仕事は順調で、順調じゃないのは私の心で……」


どうやって伝えたらいいんだろう。

話したいこと、聞きたいこと。

ここに来るまでに、色んな言葉が浮かんでいたはずなのに。

桜庭さんを前にしたら、全部わからなくなってしまった。


< 308 / 323 >

この作品をシェア

pagetop