ストックホルム・シンドローム
「…それで、どうなったの?」
沙奈が僕に話の続きを急かした。
「…ここから先は本当に曖昧な記憶さ」
僕は立ち上がり、深呼吸をすると沙奈が横になっているベッドのふちに座った。
あれは、雨の日。
降り注ぐ、赤…。
「…デートをしたのは、どしゃ降りの日。適当に街の中をうろつくだけだったけど…僕は、幸せだったんだと、思う」
押しつぶされるような苦しさがあっても、僕は、チアキが、好きだったから。
「警報機の音がして、立ち止まったのは踏み切りの前。列車が来ているのが、遠目からでもわかった」
僕の持つ黒い傘は震えていて、隣に並んでいたのは、赤いチェック模様の傘。
激しく鳴る、警報機。
傘で、チアキの顔は見えなかった。
列車がすぐそこまで、迫ってきていた。
チアキが、言った。
『あんたなんか、大嫌い』
――はねられた水たまり
――耳をつんざくようなブレーキ音
――宙に飛んだ赤い傘
――掻き消されたチアキの声
「チアキは電車に撥ねられ、即死。どうなったのか、よくわからない。気がつけば、目の前で列車が止まっていた。チアキは、『大嫌い』って言い残して死んだ」
チアキは、事故死と判断された。