ストックホルム・シンドローム
沙奈の、息を呑む声。
沈黙が輪を描くように広がっていく。
「…何も覚えてないよ。僕が殺したのか。押した感触もなかった。その部分だけがいつまでも空白のままなんだ」
最初は、車掌さんの証言で僕が殺したんじゃないかと疑われた。
けれど、防犯カメラの映像には自ら線路に飛び込むチアキが映っていたらしい。
真実はわからない。
僕の疑いは晴れたけれど、しばらくの間、身体中を蝕む震えが止まらなかった。
目の前で死んだチアキ。
僕が愛している人。
僕が、あいしていた人。
「多分、チアキが死んだ瞬間だよ。僕の、チアキへの愛が消えたのは。残ったのは、僕をなぶったことに対する憎しみだけ」
沙奈は言葉を、発さない。
「…これが、チアキの話さ。チアキのせいで、誰かに顔を見られることにすら恐怖を覚えるんだ。だから僕は顔を見せない」
沙奈の目にかけられた赤いサテンの布が、光に反射して艶やかに光った。
「…沙奈は、こんな僕が怖い?」
僕は、傍らで寝ている沙奈に囁き、問いかけた。
沙奈は質問に答えず、口を引き結んで静かに手錠を揺らし金属音を木霊させていた。
「君はチアキの代わりでもなんでもない。僕が好きになった人。もう二度とあんな思いはしたくなかった、だから」
こえが、ふるえる。
…そこから先は言えなかった。