百万本の薔薇
(五)パトロン募集
久しぶりのステージだった。
会社創立五十周年記念パーティのアトラクションとして、フラメンコダンスが指名された。
会長の肝いりで決まったショーで、栄子の所属する教室に突然のオファーが舞い込んだ。
会長がパトロンを務めるダンサーが突然に断ったゆえのことだった。
スペインでのショー出演に飛びついたとの情報も流れた。
そのため関係が切れたという噂も飛び交った。
栄子にとっては、千載一遇のチャンスでもあった。
会長に自身の踊りを見せることでアピールができるというものだ。
パトロン関係が成立すれば、潤沢な資金援助を期待できる。
うまくすれば独立することさえ可能なのだ。
もちろんその裏には愛人という文字がちらついてはいる。
八十に手が届こうかという年齢がどう転ぶのか…栄子には分からない。

健二が顔を合わせる度に
「やめろ、やめろ。年寄りの玩具になるつもりか! おれの惚れた女は、そんな女じゃないはずだ」
と噛み付いてくる。
分かっている、栄子を思っての言葉だとは理解している。
だが栄子は
「あたしの好きにするわよ。応援してくれなくてもいいけど、邪魔はしないで!」
と譲らない。

そして秋も深まった十一月の今日、ホテルの大広間を使ってのパーティが催された。
式典の後に、いよいよアトラクションへと移る。
「五分前です、よろしくお願いします」
ホテルの従業員から声がかかる。
ガヤガヤと騒がしかった控え室が静まり返り、ピンと張り詰めた空気が漂った。
主宰が、栄子に声をかけた。
「栄子。いいわね、スタートが大事よ。
ざわついている観客をだまらせなさい。今日は、あなたがスターなのよ!」
軽く床を鳴らしてみる。鎮痛剤が効いているのか、足首に痛みがない。思いっきり床を叩けそうだ。
“いいわね、栄子。今日が勝負よ!”
頬をパンパンと叩いて、気合いを入れた。

「大変お待たせ致しました。アトラクションに入らせていただきます。
フラメンコショーでございます。ダンサーは…えっ? 代わった?…」
会場から失笑が洩れ「やっぱり…会長、好きだもんな」そして落胆のため息も漏れた。
「失礼しました。では、ご登場願いましょう。木内フラメンコ教室の皆さまです。
盛大な拍手をお願いいたします」
屈辱だった。代役となったことが、マイクで拾われてしまった。
栄子の名前も伝わっていない。
そしてそして、なにより栄子を傷つけたのは観客の失笑だった、ため息だった。
歌謡ショーを期待していたらしい声が、そこかしこから漏れ聞こえてきた。

「行くわよ、栄子!」
はっきりと声に出して、己を鼓舞した。
ギターの音色が流れ始めると、一応は静まり返った。
落とされた照明の中、栄子にスポットライトが当たる。
まばらにお義理の拍手が起きた。
中央最前列の会長に目をやると、隣の男と談笑している
こっちを見て、とばかりに床を鳴らして直立不動の姿勢をとった。 

ゆっくりと、しかし力強く手首を回しながら指をくねらせる。真上に手が揃ったとき、ギターがタンタンとボディを鳴らす。
小さく床を鳴らしながら、腕を下へとおろす。
スカートの裾を持ってクルリとターンし、力強く床を鳴らす。
それが合図の如くに、ギターがつまびかれる。
栄子の表情に妖艶さが浮かんだ。
おっ! という表情で会長が見入る。
カンテに合わせて手を叩く会長に、隣の男もつられて見上げる。

ギターの盛り上がりとともに、背を向けていた者たちも栄子に視線を注ぎ始めた。
その視線に応えるように、栄子の動きが激しさを増す。
カンテが最高潮に達すると、ギターもそして床を鳴らす靴音も負けじと響き渡る。
栄子の一挙手一投足に視線が釘付けになっている。
やがて楽曲の終わりが近づき、片手を大きく伸ばし片手でスカートの裾を持ち上げて止まった。
会長が満足げに頷きながら、立ち上がっての拍手をする。
割れんばかりの拍手が起き、指笛もそこかしこから鳴った。

圧巻だったのは、ステージ最後の全員での踊りだった。
全員が後ろに控える中、栄子が軽快に踊る。
手拍子が高まるにつれて、栄子が後ろに下がり全員が揃う。
大きな動きをしながらも互いを気遣う踊りは、壮観なものだった。
会場の殆どが総立ちとなり、手拍子で応える。
「オーレ!」と会長がハレオを入れて、場を盛り上げた。

一時間ほどのショーは興奮のるつぼと化して、女性たちの間から「あたしもやってみたい!」と言う声が飛び交った。
互いをたたえ合う声の中、控え室で帰り支度をしている栄子の元に会長が現れたことで、控え室も又大騒ぎとなった。
そこかしこで、パトロンの話ねと囁かれた。
「よろしいかな、皆さん。今日はほんとにありがとう。みんな大喜びでした。
ステージ上での素人相手のレッスン、実に良かった。入会希望者がたくさん居ますよ。ありがとう」
主宰の手を取り、何度も謝意を述べた。
にこやかな表情で
「ところでと、あなた、あなた。お名前は…松尾栄子さんだったね」
と栄子に声を掛ける。
栄子の手を両手で包みながら
「あなた…スペイン村のフィエスタ・デ・フラメンコで優勝されましたな」
と、思いもかけぬことを言った。
「いえ、あたしは…」
栄子の言葉を遮って
「まあまあ、そんなことを…」
否定も肯定もせずに、主宰が口を挟んだ。
その目は“恥をかかせちゃダメ”と告げていた。

“もうろくしているの?”
そんな疑問を抱いた栄子だが、それでも良いと思った。
なんでもいいから「パトロンとしての後援をするよ」と言って欲しいのだ。
「わたしがもう少し若ければ、もう十才も若ければパトロンになってあげられたのに。実に、残念だよ」
期待が大きかっただけに、栄子の落胆は大きい。
しかし今ここで、それを知られてはいけない。プライドが許さない。
「そこでだ、良い話がある。この男性を紹介したい。
ぼくの知己の息子さんでね、松下くんです。年齢は、四十だったかな? 
人物はぼくが保証します。彼は大層な資産家でね、彼ならあなたの後援者になれる。
松下くん、自己紹介なさい」
後ろに控えていた男が前に出た。色白の長身で、ほっそりとした体型をしている。
目つきの鋭い端正な顔つきだった。
「松下国雄です。あなたのステージを見せてもらい、感動しました。
元来、芸術にはとんと縁のない無粋者でして。
会長にお誘いを受けたときも、実はお断りしようと思ったのです。
ですが無理強いをされましてね、断ったらお前との関係もこれまでだ! なんて脅しの言葉までかけられました。いやいや、良く分かりました、会長の真意が。
というところで、いかがですか。この後ご予定がなければ食事でも」

淀みなく話す松下に対し、栄子の中に警戒心のようなものが生まれた。
確たる理由はないのだが、なにかしら松下の中にへびのような陰険さを見て取った。
「今、四時過ぎですから、そうだな、六時にロビーでの待ち合わせとしましょう」
困惑顔の栄子に気付いた主宰が口を挟んだ。
「松下さん。女は、いろいろと用意があるのですよ。自宅に一度は帰りたいでしょうし」
「いや、これは失礼。気が付きませんでした。それじゃ、ここに部屋を取りましょう。
そこでシャワーを浴びるなり、なさればいい」
主宰の言わんとすることを即座に理解した松下に、栄子の中にためらいの感覚が生まれた。
“この男に捕まったら逃げることはできない”
その反面
“更なる高見へ連れて行ってくれる”
そんな確信にも似た予感も生まれた。
「それと、服装はラフな格好の方がいい。今夜はぼくの好きなお店にご招待したい。
飾らぬいつものぼくを見て頂きたいですから」

ごった返す店の奥まった場所を確保した松下、キョロキョロと周囲を見回す栄子に
「こんな場所は、栄子さんは初めてですか」
と声を掛ける。
健二と入った店はファミレスが多かった。
たまには居酒屋でと言う栄子に対し
「あんなごちゃごちゃした店なんか似合わない」
と言う健二だった。
しかしファミレスが似合うのかと、栄子自身が首を傾げてしまう。

「ぼくはレストランというのは嫌いです。こういった人間くさいところが好きなんです」
ホテルでの松下とは違った面を見た気がした。
セレブ特有の人を見下すところがなく、健二のような野卑たところも感じない。
「ここはね、ぼくの仕事場みたいなものです。情報の宝庫なんです。
サラリーマンの愚痴が聞ける、唯一の場所です。
キャバクラなんかではね、自慢話が聞ける。あそこも、ぼくの仕事場です。」

突然に話し始めたことは栄子には関係のないことだった。興味もない。
それよりもこれからの二人の関係についての話が、本音の話が聞きたいのだ。
しかし松下は滔々と続ける。
「でね、その愚痴の中に、大変な玉が隠れているんです。玉石混合ってやつです。
当の本人たちは気付かない、ダイアモンドが混じっているんです…」
あくびをかみ殺して聞き入る栄子だが、もううんざりといった表情を隠すことが出来なくなった。
それでも松下は話を続ける。
「ぼくはね、栄子さん。情報の海の中を泳ぎ切って、新大陸を見つけたいんだ。
で、その産物として大金が転がり込むというわけだ。
金が欲しいわけじゃない。成し遂げたいんです。だからね、そのためには何でもします」

話を中断させるため「ちょっと…」と、立ち上がった。
すぐさま松下も立ち上がり、通り道を用意した。
そんな紳士めいた態度は栄子の気持ちをくすぐる。
どんな話にせよ乗らねばと、考える栄子だった。
戻ってきた栄子
「本題に入りましょう。どうです、結婚してくれませんか」
と告げた。意外な申し出だった。
パトロン契約であり、愛人契約だと決め込んでいた栄子には信じられない。

「今さら愛だ恋だもないでしょう。超一流ダンサーとしての地位を確立させてあげよう。
その代わり、浮気は許さない。今恋人がいるのなら、別れてもらう。これが条件だ。
ぼくは情報入手のために、女を口説くことがある。
セックスもする。でもそれは、あくまで仕事の延長線上のことだ。だから認めてもらう」
あまりに一方的条件と感じた。お前は浮気をするな、しかし俺はする。
明治の世ならいざ知らず、男女平等同権が叫ばれる平成の世なのにと憤りを感じた。
しかし栄子をトップダンサーにしたとして、松下に何の益があるというのか。
トップダンサーを妻にしているという、自己満足だけだ。疑念が湧いてくる栄子だった。
“うかつに話に乗るわけにはいかない”
そんな警戒感が生まれた。

「以前はハワイアンにはまったけれど、フラメンコを知ってからは、もうこっちだよ。
どうだい、あの腰のくねらせようは。ハワイアンは少女で、こいつは妖婦だ。
妖艶な動きは、いやらしささえ感じさせる。
けれど、ちっとも下品じゃない。まさに芸術だね。
松下くん、男のステイタスの本質は、女だよ女。
一流の、いや超一流の女を創り上げることだ。
分かるかね、この意味が」
会場で聞かされた会長の持論が、松下の弁を強くする。
「すぐにとは言わない。けれど、ずるずるは困る。
そうだな、イブの夜を二人で過ごしましょう。この店に、八時までにお出でなさい。
来なければ、この話はなしだ。それで宜しいでしょうね」
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