暗闇と炎
3、前

3.
「そう、
ここは懐かしい場所なんかではないの。」
ウルが言った。

アルもいた。

二人の顔をみると、妙に安心する。

「待っててくれてありがとう。
二人のおかげでちゃんと思い出した。」

「隼人が頑張ったからだよ。」

その時ふと、
頭の中に高校の制服姿の自分が浮かんだ。今の自分、なのに、
どこか懐かしい。おかしな感情だった。

「なんだこれ、」

「きっと真実がちかづいてるの。」

そういうと、アルは壁にてをあてた、
すると壁がはがれていき

窓や家具は形を変え、違う部屋になった。

ここは、
9歳のときから住んでいた施設だ、

頼み込んで施設に入れてもらったが、
心の傷は

全く癒えずに小学校、中学校、高校、
と過ごしたが誰にも心を開かなかった。

だが、施設長は優しかった。
同じように愛してくれた。

転んで、
大泣きしているおれを優しく抱きしめた。

人の愛は、すごく温かかった。

「二つ目の質問するよ。」

おれはアルとウルの顔を見た。

「今度もちゃんと思い出してくる。」

二人がすこし微笑んだようにみえた。

「本当に、鍵はなかった?」

また、痛みがやってきた。
だけど今度は穏やかでいられた。

この痛みは自分の敵ではないとわかったから。
静かに目を閉じると、
意識はアルとウルから離れた。

やっぱり、そこは施設のなかで、
いつもおれがいたところだ。
それにしても、
質問が毎回意味不明だな、と
隼人は思った。
もっと教えてくれてもいいのに、

鍵ってなんだろ、

何かを開けなくてはいけないのだろうか、
そんなことを考えていると、
ロッカーが目にはいった。

このロッカーは自分専用のもので
教科書とか、大切なものとか
入れておける。
本当はかぎをなくさない中学生からしか
ロッカーは使わせてもらえないが、
施設長に頼み込んで
使わせてもらっていたのを覚えてる。

確かかぎはいつも首から下げてて…

そう思い、首筋に手を当てると
チェーンの存在に気付いた。

「え!うそ!」

思わず声を上げた。
こんなものさっきまでしていなかった。

チェーンを上に引っ張ると
服の中に下げていた鍵が出てきた。

少し錆びていて、
よく見ると「12」と刻まれている。
12番ロッカーは確かにあった。
鼓動が早まる、

本当に合うのだろうか、
恐る恐る差し込むとぴったり刺さった。

右に回すと「カチャッ」と音が弾んだ。

「ギィ…」

扉を開けると、
そこには大量のスケッチブックと
一箱のクレヨンが入っていた。

スケッチブックには番号がかかれていて
1番のスケッチブックの表紙をめくると、そこには
女の子が二人、描かれていた。
その女の子をみて、隼人は目を疑った。

「アルとウルだ…」

それ以外考えなれなかった。
長い髪の女の子と、短い髪の女の子、

どちらも綺麗な赤い髪だった。

真ん中には男の子、
きっとこれは自分だ、と隼人は思った。

次のページも違うスケッチブックもすべてこの三人。
隼人はずっと同じ絵を描きつづけていた。

何のためかは分からなかったけど

この絵を大切にしていたことは分かった。
だが、
14番のスケッチブックの最後のページには
三人の絵は無かった。
そこには最高のえみをうかべている
男の子が描かれていた。ひらがなで
はやと、とかかれているから
自分を描いたものらしい。

これ、おれが描いたものじゃない、
隼人はそう思った。

色使いや線の感じが、
それまでの絵と全く違うからだ。

絵を見つめていると画用紙の右下に小さい文字を見つけた。

「もりた ちか」
ひらがなでそうかかれていた。

「もりた…ちか…」声に出した瞬間、
彼女の顔が浮かんできた。

「千華!」名前を思い出すと
千華に対する感情がどんどん溢れ出てきた。
千華との出会いは、隼人が10歳のとき、
あれは春、桜の香りがしていた。

千華は先生に連れられて
隼人と同じクラスにはいった。

この施設に入ってくる子達は
最初ほとんどが泣いている。
だけど、千華だけは違った。

笑ってた。

無理に笑ってた自分にそっくりで、
隼人はうざいと思った。

施設の子達が千華のことを馬鹿にしても
へらへらしてた。

隼人が絵を書いているとき、
施設長以外で話しかけてきたのは
千華だけだった。

「何かいてるの?」

「これはだれ?」

無視したけど毎日、毎日千華はきた。
でもある日、

「絵、へたっぴだね。」

おもしろくもないのに
笑顔でそういわれて、すごく腹が立った。

「うるせぇよ!お前には関係ない!
こっちくんな!」

怒鳴ってしまった。

クラスは静まり返っている。

はっと思い、千華をみた。

でも千華はいつもの笑顔で笑った。

「ごめんね隼人。わたし邪魔な子だよね。」


「邪魔な子」

そういった千華の笑顔には
涙が見えた気がした。
その日の夜、ふと、
目が覚めて千華の布団が
空になってることに気付いた。
なぜか分からないけど、千華を探した。
庭のブランコに座っていた。

だけどそこにいたのは
いつもの笑顔の千華ではなく、

声がでるのを必死におさえて、
ひとりで泣いている、
小さな小さな千華だった。

「夜は、庭に出ちゃいけないだろ。」

隼人の声を聞いて、
千華が驚いたのが分かった。

袖で涙を拭いて、じゃあ内緒にしてね、
と笑った。

千華が笑った瞬間、いらっとした。

泣いてたの隠せてるとでも思ってるのかよ。

「なんで、笑うんだよ。」

千華の笑顔が一瞬消えた。

「そんなの、理由なんてないよ。
自然と出るものだもん。」

「お前のは、自然とじゃない。」

「そんなの、隼人にわかるの?」

何も言えなくなった。おれは、
千華のこと、何も知らない。

「ね。わたし大丈夫だから。それと、
今日はごめんね。」

なんで、千華はこんなに強いんだよ。

「千華は、わるくない。
おれがわるかった。」

初めて、人の名前を呼んだ。

「え?なにいってるの?
わたしが邪魔しちゃったから。」

「邪魔なんかじゃない!
本当は嬉しかった。話しかけてくれるの。」

おれ、嬉しかったんだっけ、

「お前はいつも笑ってるけど
本当はこうやってひとりで泣いてたんだろ。」

そんなのおれ、知らないじゃん。

「ひとりで泣いてるくせに無理に笑うなよ!
むかつくんだよ!いつもへらへら…」


「勝手なこと言わないで!」


千華の大きな声で、
言いかけてたことがとんだ。

「無理になんて笑ってない!泣いてない!
うれしいときしか、涙は流さないってままと約束したの!
ままが迎えにきたときまで、とっておくの。」


「迎えになんてこない。」


千華はおれに、石を投げた。
だけど、全部おれの足元に転がった。

「千華だって分かってるはずだ。」

千華はしゃがみ込んだ。
あぁ千華は強いわけじゃない。
誰よりも弱いから強いふりをしてるんだ。
こんなに千華を追い詰めておれは
何がしたいんだろう。

「ままはわたしよりあの男の人の方が
大切になっちゃったんだぁ。

でも誰かのまえで泣いたらわたしが
壊れちゃいそうなの。

ままはわたしの笑顔が大好きだから。
わたしは笑ってないと壊れちゃう。

笑ってないと、笑ってないと…」

今にも泣きそうな笑顔をして、
千華は自分と戦ってた。

「なら、おれが支えててやる。」

何言ってんだろおれ。

「千華が泣いてるときは
ずっと抱きしめててやる。
だからもう、無理に笑うな。」

「……ありがとう…。」

震えながら、涙を流す小さな小さな千華をおれは強く抱きしめた。

そのとき、おれも泣いたのは、
おれと千華の秘密。

千華は隼人の心の鍵。千華だけは隼人の心に入り込んだ。
隼人の、初恋。

千華の幸せを壊さないでください。
夜空の星を眺めながら何度も何度も
隼人は祈った。
だけど不幸というのは、
忘れた頃にやってきた。

高校一年の冬、
千華に思わぬ知らせが届いた。
千華は施設長室に呼ばれた。
おれは扉に背をつけて、盗み聞いた。

「お母さんが、胃がんだそうだ。
もう、末期らしい。
病院の場所は聞いといた。
会うかは、自分で決めなさい。」

「分かりました。ありがとうございます。」

返事をした千華の声は、
妙に冷静に聞こえた。

そしてある日、千華は一日だけ、
施設にいなかった。

どこかで、
会いに行かないだろうと思っていた分、
気が重かった。

学校の帰り、
おれ達は一緒に帰っていたけど、

千華の母親のことを聞けずにいた。

でも、その話は千華から切り出された。

「あのね、隼人、
わたしお母さんに会ってきた。
お母さんはガンでね、
もう長くないんだって…」

一度、黙り込む千華に、嫌な予感がした。

「お母さん、男の人ともう別れたんだって、
わたしを施設に預けたことも
何度も謝ってくれてね、
今は一人で寂しいと思うの。
だからね…だからわたし…」


「やめろよ。」

そんな話、聞きたくない。

「お母さん、もう病院は嫌って言ってたの。
もう治らないならせめて
家で最期を迎えたいって。
お母さんを、一人にはできないし、
願い叶えてあげたいの。」


「やめろって!!!」

「わたし、お母さんと一緒に暮らす。」

おれがやめろって言ってるのに、
千華は話しつづけた。

渡したくない。
千華はおれのそばにいなきゃ…

「最初に千華を一人にしたのは母親の方だろ!
金だって必要だし、
学校はどうするんだよ!」

「通いながら、バイトするよ。」

「そんなんじゃ金足りねぇよ!
無理に決まってるだろ!」

「やってみなきゃわかんない。」

なんでだよ、
前はもっと弱かったろ。

千華はおれのそばにいなきゃ…
壊れていくんじゃねーのかよ。

「お前にそんなのできるわけない。
辛くなって終わるだけだ。

だいたい母親はお前のことなんて
愛してねぇよ。
また、利用しようとしてるだけだろ。
千華だって分かってるはずだ。」

こうやって突き放せば
くっついてくるんだ。
今までそうだったんだから。
だって千華だもんな。

「わたしが、傷つくって分かってて…
そう言うんでしょ。
わたしは隼人の人形じゃない。
隼人はいつもいつも
わたしが傷つくことを言う!
一番傷を分かってるはずなのに!
どうして!

前に進みたいのに、
わたしを過去に閉じ込めないで!」


おれ、千華のことを
人形だなんて思ったこと一度もねぇよ。

でも、どこかで、
千華がもうこっちを振り向かないことくらい
分かってた。
分かってて言ったんだよ。
もっと他の言い方をしたら
笑い合えたかもしれないのに、
なんで、あんなこと言ったんだろう。
でも、知らないうちに、
千華は遠くに行ってた。

おれと千華はいつも同じ道を歩いてると思ってたのに、
おれが一番大切に思っていれば
千華もおれを一番大切に思っていると思ってた。

いまにも壊れそうな
小さな千華だったはずなのに。

全部思い込みだったのかよ。

「わかんねぇ。
お前を傷つけたかったからじゃねーの。
もう、好きにしろよ。」

千華はおれの頬をおもいっきり叩いた。

痛みなんてわからなかった。

結局、欲しいものなんて
何一つ手に入らない。

昔も、今も。

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