卯月の恋
「毛球症ですね」


キリコの体に聴診器を当てたり、慎重にお腹を押したあと、獣医師は振り向いてそう言った。

男の人が呼んでくれたタクシーに二人で乗り込み、向かった先は、うちから1時間ほどの場所にある夜間専門の動物病院だった。


「体を舐めて毛づくろいする時に一緒に毛を飲み込んでしまうんです。その毛が胃にたまってうっ滞を起こしたんだね」


獣医師は診察台に乗せたキリコの背中を優しくなでる。

「キリコは…治りますか?」

「大丈夫ですよ。今から胃を動かす薬を使って治療します。これからたまに毛球除去剤を飲ませるといいですよ」

西原という若い医師はそう言ってにっこりと笑う。


「急に動かなくなってびっくりしたでしょう?うさぎは具合が悪くても必死で隠しますから。でも、もう大丈夫ですよ」


「よかっ…た…」


はぁぁぁ、と思わずその場にしゃがみこむ。


「少し待合室でお待ちください」

助手の女性に促されてよたよたと待合室に向かう。

キリコが無事で本当によかった。

キリコは実家にいた時から、家族みんなでかわいがっていた私の大事な娘。
就職で一人暮らしすることが決まって、キリコがついてきてくれることになった。
初めての仕事、初めての一人暮らし、
何もかもがいっぱいいっぱいの生活の中でも、キリコがいるから私はがんばれるんだ。



「なぁ」


よかったよかった、とぶつぶつと呟いていたら、横から急に声をかけられた。


「…はいっ?」


顔をあげて思わず息を飲む。


「あっ、すみません。すっかり…あの…」


忘れてました…
あなたのこと。



隣にはさっきの男の人が不機嫌そうに座っている。


待合室の時計を見上げると、もうすぐ七時になるところだった。

まだ、いてくれてたんだ。


「うさぎ、なんだって?」

「あ、たいしたことないみたいです。毛がお腹にたまって苦しかったみたいで、お薬で治るそうです」

「そ」


男の人は興味なさそうに、そう言うと、携帯を取り出して見始める。


「宮内さぁん」


ちょうどその時、診察室から私を呼ぶ声がした。
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