いと。
2年前私と出会ったころにまだ20代で始めたこの店をちゃんと軌道に乗せて経営している薫。
最近もちゃんと経営セミナーとかに通って、『長い目で経営策を考えていかないと』なんて話していた。
いつか同じように自分の店を持てたらと淡い期待と夢を抱く私にとって努力家で完璧主義の薫の頑張りは勉強にもなるし励みにもなる。
「何かつまむ?」
手元のナッツやフードメニューのリストを指差す薫。
極端に少食な私に薫は必ずそう聞く。
出されても食べないで残してしまう罪悪感があるとわかっているから。
「ううん。これだけでいい。」
カラリとグラスを持ち上げる私に薫はちょっとだけいたずらっ子のような笑みを向ける。
「そ?たまには違うの飲ませようかとも思うんだけどね。なんか他に飲みたいのないの?」
そう言われて、以前色々一緒に試したいと言われたことを思い出した。
あれは初めてここでお酒を飲んだ時のことだった。
「んー、薫が作るなら何でも好きだけど今はコレ飲むと仕事終わったって感じするからコレで十分。コレが好き。」
あれから色々飲んだけど、シンプルなこの一杯に落ち着いたのだった。
「そっか。…ま、ホントの強さ知ってる身としては愛にジントニックなんてジュース飲ませてるようにしか思えないんだけどね。」
「……薫?私だって一応アルコール飲んでることくらいわかってるよ?」
微笑み合う、他愛もない会話。
今はこれがとっても心地いい。
「あー、それ聞いたことあるけどホント?アイちゃんアースクエーク顔色ひとつ変えずに飲んでたって。」
それは客席からグラスを下げてきたスタッフの雄太くんの声だ。私よりひとつ年下で、オープンから薫の店で働いている。
私たちの関係を最初から知ってる、私にとっても気心の知れた友人だ。
「あれオレだってひと口以上はムリなのに、アイちゃん凄いね。」
ーアイちゃん。ー
そう、私の本当の名前は薫にしか呼ばせない。雄太くんも深くまでは知らずとも、本当の名前を呼ぶことを許されているのは薫だけだと知っているようだった。
この世でたった一人、薫だけ。
まぁ…ごくたまにしか会わない母もそう呼ぶけれど、私自身で許したのは薫だけだ。
「雄太くんバーテンやってるのにあれダメなの?それって仕事に影響ないの?薫。」
素朴な疑問を率直にぶつける。
すると薫は半ば呆れ顔で返してきた。
「………愛。俺たちは作るのが仕事であって、飲むのは違うよ。
自分のアルコール許容量や味を知っておくために色々試しはするけど、愛みたいに強い必要はないの。
あれは俺だって滅多に口にしないし、注文する人だってほとんどいないよ?」
「…なるほど。」
あれ?でも…………
「…じゃあ薫は初めて一緒に飲んだ、許容量もわからない私相手に自分でも滅多に飲まない位のあれを出したの?」
「……………まぁ、そうなる?」
「…え?初日でそれ?マジで!?
……薫さんってば中々えげつない落とし方するんだね…。オレさすがにそれはできない。
………それをかわしたアイちゃんも只者じゃないけどねー。」
薫の隣でグラスを洗って拭いていた雄太くんは引きつった顔で私たちをそう言って笑った。