会社で恋しちゃダメですか?
ビルの階段を下りながらも、園子はなんだかしっくりしない。いつもと様子が違うのだ。
園子の胸に、確証のない、漠然とした不安が顔をのぞかせる。
ビルを出ると、もう漆黒の闇。ビル街は夜になると、とたんに人口が少なくなる。園子は地下鉄の駅の方へと歩き出した。
すると、後方から車のクラクションが鳴らされた。
何事かと振り返る。そこには一台の黒塗りの車が停車していた。夜の闇との境目がわからないが、ヘッドライトだけがポッとオレンジ色に輝いている。
運転席が開いて、黒い帽子にスーツ、白い手袋の運転手がこちらへ歩いて来た。
園子は周りを見回したが、自分以外に人はいない。
何?
園子は軽い恐怖を覚えて、後ずさりした。
「池山園子さんでいらっしゃいますね」
運転手が丁寧に訊ねる。
「は、はい」
「こちらへ、どうぞ」
白い手袋が、車へと誘おうとする。
「え?」
園子は訳がわからず、とぼけた声を出した。
「山科様がお待ちです。どうぞご乗車ください」
運転手は丁寧だけれど、有無を言わせない言い方で園子を車へと連れて行く。
山科様って。
後部座席の扉を運転手が開けると「どうぞ」と言われる。園子は「まさか」と思いながら、身をかがめて座席の置くに目をやった。
「こんばんわ、お嬢さん」
TSUBAKI化粧品の社長が、そこに座っていた。