heavenly days (仮)
第一章

名前を呼ばれた気がして瞼を開けると、ぼんやりとオレンジ色に灯る光が見えた。寝室の常夜灯が、夜色の部屋の中で唯一暖かいもののようだーーー部屋の温度が低いせいか、余計にそう思えた。

(いま、なんじ‥‥?)

見渡せる範囲に時計はない。この部屋で時間を見るには、枕元の携帯電話か窓際のチェストボードに置いてある電波時計を確認する他ない。仰向けの体を横に向ければ携帯電話にすぐ手が届くけれどーーー羽毛布団にすっぽり包まれている手足を動かすのが億劫になって、時間などどうでもいいやと思う。布団の中の温かさが心地良くて、動いたら冷たい空気が入り込みそうなのだ。2月にはいったばかりの夜の寒さを舐めちゃあいけないよと寝ぼけながら息を吐いた。窓の外の明るさ具合から見るに、まだ夜中の2時とか3時とか4時とかその辺りだろうし。

ーーー夢を見てた、気がする。
内容をよく思い出せないけれど、夢の中で名前を呼ばれていたんだと思う。柔らかな声を聞いた記憶がある。あの声は、春のものだ。
心臓が小さく、きゅう、となる。
キュンとするのではなく、緊張するのでもない。あえて名付けるなら罪悪感に似たものが胸を締め付けた。その懐かしさは当時の臭いまで思い出させるようで、鼻の奥に部屋の空気とは違うものが感じられた。

(あの人は、)

(春は、今どうしているのだろう)

生きているのかどうかもわからない。連絡先も知らないし共通の友人もいないから、近状を知る術もない。これから先のことでわかっていることがあるならば、彼とはもう会えないし、会いたいと望んではいけない。その2つきり。時々今夜のように思い出すときがあったり、軽い気持ちで会いたいと思うことはあるけど、強く願うことはしてはいけない。本気で願えば彼はきっと会いに来る。それがわかるから、けれどそれは誰の役にも立たないから、彼と私が交わるエピソードはこれから先、万が一にも訪れない。私の中で春は、過去の人だ。

それでも、久し振りに声を聞けたことは素直に嬉しく思えた。夢の中であっても、春の声が私の中で色褪せることなく残っていたことが嬉しい。その声の優しさは、どんなに時間が流れても私を癒やしてくれる。

春と過ごした日々に思いを馳せて、そういえば日記を書いていたなと思い出した。日記と言うにはおこがましいくらいの頻度だが、友人に誘われてはじめたSNSに時々日記を書いていて、そこに春のことをつらつらと載せたことがあった。春との最後の別れの様子も書いた記憶がある。
私はあの日のことを、どんな風に書いていただろうか。

布団の中でもぞもぞと動く。
今度は億劫には思わない。
手を伸ばして、携帯電話を充電コードごと引き寄せた。

真夜中に目が覚めたにも関わらず、心臓がトク、トクと小さく高鳴り始めるのを感じながら携帯電話の電源ボタンを押す。
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