I先輩
玄関で靴を履きながら、先輩が言った。
「ちあきと、何かあった?」
「え?」
そう聞かれると、何も…なかったわけじゃない
けど…
「…何も、ないですよ?」
とっさに、そう言ってしまっていた。
「ん、そっかぁ」
先輩はそう言うと笑ってわたしの前に左手を差し出した。
わたしはその手を少し遠慮がちに握った。
「あ、そういえばさっき電話したんだけどさぁ、電源切ってた?」
「あっ、本当ですか?
気付かなかったです」
「…そっか!」
本当のことを言えばいいのに、なぜか言えなくて…
先輩はさっきみたいに笑ってたけど
一瞬、つないでいた先輩の手が、少しだけゆるんだ気がした。