残念御曹司の恋
そして、残された俺の心の傷は思っていたより深かった。
今まで、こんなに爪痕すらも残せないまま失恋したことなどないし。
そもそも、真剣に恋愛したことなどない自分に気づかされた。
どこか、自分という人間をとことん否定されたように感じる。

それを隠すために、俺は合コンでたまたま気のあった女と付き合い始めたのだ。

だから、俺が受けたダメージは、つい先日の破局より、一年前の失恋の方が大きい。
認めたくないが、いまだに引きずっているのだと思う。

だから、俺が仕事終わりにいつものバーに向かったのは、決して木下に誘われたからじゃなくて、単に俺か飲みたかったからだ。


「だから、一年前に私とつき合ってれば良かったのよ。」

木下は美しくグラスを傾けて、作りたてのシャンディーガフを、その自信たっぷりの口に流し込んだ。
かと思えば、「ねえ、マスター」とカウンターの中に立つ男に同意を求めて、クスクスと笑っている。

マスターと呼ばれた男は、その落ち着いた大人の微笑みで「その通りだ」と返した。
恐らく、俺の失恋を木下にリークしたのはこの男だろう。
先週俺が飲みに来たときにも、俺の愚痴を同じように静かに聞いていたから。

五年前から通っているBAR OKIは、職場からも自宅からもアクセスがよく、変に気取った雰囲気もなく、親しみやすい店で気に入っている。
その親しみやすさは間違いなくマスター沖田の人柄から来るもので、酒を飲みながらマスターに愚痴を聞いてもらうのが、ここの常連客の定番になっている。

だから、女を口説くときにこの店は絶対に使わない。
主にここへ足を運ぶのは、一人で酒を飲みたくなる時だ。
木下もここに通っているのは、たまたま同期の男が俺たちにこの店を紹介したからで、そいつが他県に転勤になってからも、度々この店で木下と顔を合わせた。

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