残念御曹司の恋
おかしいなと気づいたのは、例の新人の涙の一件から二ヶ月くらいが経った時だった。

最近、木下の姿を全く見ていない。

事務所や打ち合わせで顔を合わすのは別のコーディネーターばかりだった。
別に常に一緒に仕事をしているわけじゃないから、さほど不自然という訳でもない。
ただ、今までにこんなに長い間会わなかったことはあっただろうかと考えると、答えはノーである。

たまたま気になった時に、事務所に来ていた例の新人コーディネーターに尋ねてみる。
彼女は木下の予想通り二度目の打ち合わせからは本来の力を発揮してくれたため、変なわだかまりはない。

「最近、木下見かけないけど、担当でも変わった?」

そう尋ねた俺に、新人は頭の中で考えを整理するようにゆっくり話し始めた。

「ああ、えーっとですね。」

そこに俺の隣の席で話を聞いていた後輩が、会話に入ってきた。

「あれ?谷口さん、聞いてないんですか?」

何か知っているような口振りに、俺は自然と聞き返した。

「何が?」

後輩はすかさず説明を続ける。

「ほら、うちの会社がJV組んで受注した幕張のホテル有るじゃないですか。何でも、部屋の内装にえらく凝ってるらしくって、木下さん、最近その仕事で東京本社に駆り出されてて大変らしいですよ。」

後輩がしたり顔で説明すれば、新人コーディネーターは補足するように話し始めた。

「正式な辞令じゃないんで、あんまり話さないように言われてるんですけど、たぶん近いうちに木下さん東京に行くことになるみたいです。元々、東京本社で人手が足りないっていう話はよく出ているので。」

それを聞いて、俺は少なからず動揺した。

「そうか、あいつ居なくなると清々するな。俺の悪口も聞かなくて済むし。」

必死に動揺をかくして咄嗟に口から出たのは、心の中に浮かんだものとはまるで反対の言葉で。
それを聞いた新人は驚いたように言う。

「木下さんが、谷口さんの悪口を?まさか、私、一回も聞いたことないですよ。むしろ、いつもべた褒めです。」

それを聞いて、隣の席の後輩もニヤニヤと口を挟んできた。

「木下さん、相当なツンデレですからね~。」

冷やかすような二人の視線から逃れて、仕事を進めるべく、手元の書類に集中する。

しかし、一向に内容は頭に入ってこない。
俺の頭の中を占領しているのは。
木下が居なくなるということと。
あの日、マスターが言った一言だった。

『 いつまでもチャンスがあるわけじゃない』

その意味をひたすら考えた。
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