残念御曹司の恋
耳を疑って、思わず聞き返した。

「えっ、退職ですか?転勤ではなくて?」
「ええ。突然だったのですが。」
「近々、仕事でアメリカに行くと聞いていたのですが。」
「それは何とも…。私は、家庭の事情で辞めたいということしか聞いておりませんので。」

転職したのか?
それとも、本当に家に何かあったのか?
その、いずれにしろ。
司紗は銀行の仕事が好きで仕方ないと言っていた。
それを急にやめるなんて。
彼女の身に何かが起きたことは確実だった。
俺はかなり動揺していた。
それと、同時に嫌な予感がする。

挨拶をしてオフィスを慌てて出ると、夢中でスマホをタップする。
迷わず「片桐司紗」で登録されている電話番号に発信した。

「お客様のお掛けになった電話は、現在使用されて…」

その音声が流れるのを、最後まで聞かずに、俺は通話終了のボタンを押した。

別れを告げられた夜も、その翌朝も、この一ヶ月の間にも、こんな絶望感は経験しなかった。

司紗が、ほんとうに俺から離れていく。

そのことを、俺はこの時に、初めてちゃんと、理解したんだと思う。

そして、初めてちゃんと、あの手を繋ぎとめなかったことを後悔したんだと思う。
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