残念御曹司の恋
「あれ、ここ、確かクマザワの工場もなかった?」
つい口に出してしまった。
竣はその声に、顔を上げる。
「ああ、うちの工場はもう少し上流の方だ。今のところは問題ない。」
すぐにどの記事のことか察した竣が言葉を返す。
それは、同業他社の海外工場が洪水被害で操業停止したことを伝える記事だった。
「洪水の可能性については調査済みだったから、俺は立地に反対したんだ。当時は、隣国にも候補地があって。国自体は人材も豊富で取引先も多いが、ここは災害以外にもリスクはいくつかあって…」
仕事の話をしている時の竣は、いつも真剣だ。明るく社交的な彼だが、ビジネスでは誰よりも厳しく、極めてシビアだ。
「まあ、結局は出来るだけリスクが少ない土地を選んで進出した。説得できなかった俺の力不足だから、今更言っても仕方がない。」
そして、彼が最も厳しいのは彼自身に対してだ。
御曹司だからと、周りから偏見を持たれることも少なくないし、その若さゆえ経験が足りないと言われれば、反論は出来ない。
でも、彼はそれを人一倍努力することでカバーしようとしている。
「万が一のことを考えて、他工場の生産比率を上げるとか、すでに対策は考えてある。 」
涼しい顔で言ってのけるが、寝る間も惜しんで仕事をしていることを、私は知っている。
御曹司という立場に甘えず、ひたすら仕事に打ち込む姿を見れば、彼が‘’残念な男‘’でないことは明白だ。
「さすがね。」
にっこりほほえんで褒め称えれば、自信に満ちた顔に、少し照れたような笑みが浮かぶ。
窓の外を眺めながら、ジャケットに袖を通せば、完全にスイッチが切り替わる。
その凛とした姿は、すでに日本経済を支えるにふさわしい経営者の品格が備わっているようにも思えた。
彼は、どこをどう見ても私とは住む世界が違う人間だ。