君のとなりに
「着替え、どうする。上下はぶかぶかでいいなら俺のを貸せるけど、下着はさすがにねぇぞ。」
「彼女のは?」
「彼女がいたらお前を家にあげない。つーか、彼女のを貸すはずもねぇし。」
「…降谷さん、真面目。」
「お前が不真面目なんだよ。俺は普通だ。」

 じくじくと痛む心を引きずって待っていたはずだったのに、降谷が言葉を発してくれるだけで涙が引っ込むなんて不思議だ。

「コンビニで適当に買うなら寄るけど。」
「この格好でコンビニ入れない。」
「俺が買う。」
「降谷さんがあたしの下着買うの?…それ、面白い。」
「…面白くねぇな。俺の上着被って買って来いよ。」
「…はぁい。どこでもいいからコンビニ寄って。」
「わかった。」

 それから会話は途切れてしまった。いつもならば会話が途切れた沈黙に耐えられないのに、降谷ならば平気だ。降谷といると気が楽だ。何をしても嫌われない、見捨てられない、そんな気持ちになる。
 普段の桜は殊更に空気に気をつかう。この場の空気を乱さないことが第一で、自分の感情はいつだって置き去りだ。それを繰り返すうちに、自分が分離してしまった。

「…降谷さん。」
「なんだ。」
「…ぶっきらぼうだけど、ちゃんと返事してくれるよね、仕事のときも。」
「それが仕事だからな。それで用件はなんだ。」
「あったかい、ご飯が食べたい。」
「それは白米ってことか?」
「ううん。」

 桜は首を振った。髪の毛の先から水が滴り落ちた。

「降谷さんが作ってくれたものが食べたい。」
「…我儘女。」
「知ってるもん。」
「まぁ、お前を車に乗せた時点で我儘言われんのわかってたけどな。」

 そう言って、ふっと落ちた笑みに胸の奥がきゅうっとする。こういうのはずるい。大人の余裕が、憎い。
< 16 / 30 >

この作品をシェア

pagetop