サイレント
一は差し出された封筒をじっと見つめながらも中々手を出そうとしなかった。

そんな一に樹里が戸惑っていると、一はソファにもたれるようにして溜息をついた。

「先生、何でこんな簡単に貸してくれんの?」

ようやく一が封筒を受け取る。一は封筒から札束を取り出し、枚数を数え始めた。きちんと十枚あることを確認すると一はその金を封筒に戻してテーブルに置き、樹里を振り返る。

「さっき家の人はって聞いたけど、母親、一ヶ月前に家出てったんだ。学校から帰って来たらいなくて、一万円だけテーブルに置いてあった。親父はもっとずっと前から帰って来てなくて、この一ヶ月、俺と弟の二人で生活してた」

世の中は樹里の知らない所で色んな事が起こっている。

それは悲しいことだったり、嬉しいことだったり、綺麗なことだったり、汚いことだったり。

今、目の前にいるのは樹里にとって最も特別な少年。

彼が辛い目に遇っている等、昨日までの樹里には想像すらできないことだった。

そして明日からの樹里と一がどのような関係になっていくかなんて、それ以上に想像できない。
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