サイレント
「好き?」

芹沢が祥子の腕の中で不思議そうに呟く。
祥子は我に返って芹沢から離れた。

芹沢は祥子に抱きしめられたことなどこれっぽっちも気にしてない様子で、空を見上げた。

やっぱり芹沢の中に祥子が入る余地なんてないんだと思い知らされる。

「俺、そういえば一度も好きって言ったことない」

「え、彼女に?」

とても意外だった。祥子から見た芹沢は彼女に夢中で、好きという言葉なんてもう何度となく伝えているイメージがあった。

あんなに仲が良さそうで、幸せそうだった二人が。

立場の違いで苦しむことも多かったとは思うけれどそれ以上に幸せだろうと勝手に想像していた。

祥子にとっては理想の恋人同士。

「ごっこ」ではない「本物」の。

遠い目をした芹沢は伸びて少しウェーブした髪の毛をウザったそうに振ると、祥子に背を向けて歩き出した。

今度は追い掛けることが出来なかった。

芹沢の背中は「追い掛けてくるな」「構うな」と祥子を拒絶しているように見えた。

芹沢がどこか遠い、祥子とは全く別の世界の住人になってしまったようだった。
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