サイレント
「何言ってるの?そんなこと……」

「じゃあまたね」

陽平は樹里の手を離すと伝票を持ってレジへ向かった。支払いを終えてから一度樹里を振り返ったが、樹里は俯いたままじっと座っていた。

樹里と一がこんな風になってしまったのには陽平にも責任がある。

たとえ樹里が一を好きだったとしても、陽平が家族を置いて家を出なければ一と樹里が親密になることはなかっただろう。

だからってあの時の陽平には妻に病気のことを話す勇気はなかったし、生き延びた今もまだ病気のことを妻に話せていない。

妻にとって日本で頼れる人間は陽平しかいなかった。

見知らぬ土地で、金のために慣れない仕事をして、下手くそな日本語で一生懸命に話す妻。

妻の自分への過剰な依存が重荷でもあり、プレッシャーで、けれど嬉しくもあった。

陽平はアパートへの帰り道、久々に家へ電話をしてみた。今いるアパートではなく、家族四人で暮らしていた家へ。

『……モシモシ』

深夜の電話に警戒しているような妻の声が聞こえて来た。

「あ、俺だけど」

『アナタ?何?こんな時間ニ』

「何ってことはないけど……ちょっとお前の声が聞きたくなった」

受話器の向こうで妻が押し黙る。怒っているのかもしれない。
< 345 / 392 >

この作品をシェア

pagetop