サイレント
それから放課後になるまで、一切のことが頭に入らなかった。

授業のことも、友人の雑談も、給食の味も。

こんな経験は二度目だ。母が姿を消した翌日も一はこんな風だった。

終業のチャイムが鳴るか鳴らないかに教室を飛び出して家に帰り、先に帰っていた弟に今日は6時まで近くの公園か児童館へ行っててくれ、と頼んだ。

それから樹里がやって来るまでの間、一はじれったいような怖いような、どちらともつかない気分で過ごした。

家のチャイムが鳴ったのはきっかり5時になってからだった。

思いがけず玄関のドアを開ける指先が震えた。

目の前に私服姿の樹里が現れる。
今日も胸の開いたTシャツにデニム姿だった。

特別おしゃれをしているわけではないのに、その姿にドキリとする。

樹里のTシャツは普段一達が着ているのとは違い、シルエットがとても女らしい。生地も柔らかそうで洗濯にも手間がかかりそうだった。

「入って」

一がそう言って樹里の手首を引くと、樹里は驚く程軽く、ふらりと中へ入って来た。

樹里をソファに座らせ、麦茶をグラスに注ぎ、テーブルに置く。

一は無意識のうちに逃げられまいと樹里の行くてを阻む形でソファに腰を下ろしていた。

樹里の瞼は腫れていて、ひどい顔をしている。一自身も寝不足気味で、ややすっきりしない。
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