君を好きな理由
プロローグ
それは昼下がりの午後の事だった。
一人の役員が昼間に胃痛を訴えてきていたから、とりあえず様子を見に立ち寄った。
とりあえず昼間に飲んだ薬が効果を現したらしく、今日のところは良いけれど、続くようなら病院に行くように“お願い”して、役員フロアを歩いていた。
行くかどうかは微妙なところよね。
役員がどれだけ忙しいかは知っているけれど、身体を壊したら意味がない。
そこの所、どう考えているのやら。
そんな事を考えながら歩いていたら、廊下の隅で俯いている後ろ姿を見つけた。
オーソドックスな茄子紺色のスーツ。
あの後ろ姿には見覚えがあった。
あの男は苦手だ。
数年前、心臓のバイパス手術を受けた相談役顧問。
定期的に医務室に検診に来る。
いつもそれにピッタリ引っ付いてくる秘書課の……確か葛西さん。
キッチリスーツ。
礼儀正しく直立する姿は無表情で無言。
どこか冷ややかな視線と雰囲気の男は、もうそれだけで苦手。
だけど、あんな所に立って……何をしてるの?
秘書課の人も暇ではないだろうに。
「どうかしましたか?」
声をかけてみて振り返った顔にギョッとした。
「え。どうしたの」
「何でもありません」
そう言ってプイッと顔を背けられたけど……
何でもなさそうには見えない。
前に回り込んで見上げると案の定。
目がうさぎさん。
しかも涙でボロボロ。
それはそれで可愛いけれど、ごしごし目を擦る姿に首を傾げる。
「目がどうかした?」
「何でもな……」
「貴方コンタクトでしょ。そんなに擦ったら目が……」
「どなたか存じませんが、貴女に関係はありません。放っておいてくださ」
「貴方は馬鹿? 大丈夫そうなら放り出してるわよ。そうじゃなさそうだから声をかけているの」
ああ、もうむかつくな。
どうして誰も彼も自分の身体を大事にしない。
「……は、はぁ」
「何、ずれた? 何か入った?」
「あ……いや……」
「男ならハッキリしなさい! ぶら下がってるのは飾りなの?」
「ぶ、ぶら……」
「だからどっち? 眼球に熱は?」
「何かが入っただけですから!」
「そう。ならコンタクトは直ぐに外して……目薬はある?」
「あ、あります」
「擦るのはやめて、取り敢えずは目薬使って洗い流しなさい」
ハンカチを取りだし、手の中に握らせるとヒラヒラ手を振った。
「それでも何かがおかしいと思ったら、ちゃんと眼科に行きなさいね」
まぁ、行くかどうかは微妙だけど。
これが、彼と私の初めての会話。
思えば最悪だったと思う。
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