いきぬきのひ
ある日、突然。
夫に先立たれ、子どもと二人、途方に暮れるしかない私に救いの手をさしのべてくれたのが、夫の学生時代からの友人だった彼だ。
突然、アポなしで押しかけてくると、彼は夫に手を併せるのも早々にして、戸惑う私にこう切り出した。
「生活のめどは立ってるんですか?」
日々をおろおろと過ごすだけの私に、彼の一言はぐさりと突き刺さった。
言いよどむ私の態度に全てを察したのだろう。彼は徐に、研究者らしからぬ洒落たアタッシュケースから、書類をごそりと取り出した。
おずおずとそれを手に取れば、彼の勤め先での契約職員の公募書類だった。
既に事務方とは話が付いており、奥さんさえ望めばこの場で即内定です、と彼は笑っていた。それは、俗に言うお手盛り、と呼ばれる類なのかもしれない。だけど、正義風を吹かすほどの余裕も無ければ人間も出来てはいない私にとって、正直、その申し出は涙が出るほど嬉しかった。仕事の内容も、勝手知ったる広報だと言う。
「奥さんの商業デザイナーの経歴あっての話ですよ。普通の事務職だったら、この話は無しですから」
ところがその数日後。突如予算の見直しが言い渡され、広報への追加予算がストップになってしまった、と彼から電話が来た。
受話器の向こうの彼は、先日あった時と同様に淡々とした口調で、次の案を提示してきた。それは、自分の研究室付の秘書だった。
「なんだかんだ言っても、とりあえず秘書は必要なんです。……まぁ、秘書って言っても、要は事務と雑用係なんですがね」
広報活動に払うお金は無くても、雑務に払う金はある、ということか。
選択の余地などなかった。
「宜しくお願いします!」
気づけば私は受話器を宛がったまま、深々と頭を下げていた。