いきぬきのひ
「着いたよ」
 彼の声で我に返ると、丁度エレベーターの扉が開き切ったところだった。
 そこには一階の執事様とは正反対の、ちょっと気怠げな今風男子が突っ立っていた。流石にスラックスを腰履きにはしていないものの、髪の合間からのぞく耳朶には、これでもか、と言わんばかりのピアスホール。
 なんだかそれがバインダーの穴みたいに見えて、二の腕の辺りが少しざわざわした。
「喫煙、禁煙、どちらにしますか?」
 息子も数年後にはこうなるのだろうか。正直、想像がつかない。
「私も彼女も吸わないんで」
 承諾のつもりなのか、ほんの軽く頭を下げると、バインダー君はメニューを小脇に抱えてスタスタ歩き出した。私達も慌てて、後に続いた。
 どこかさめた風の今風な彼が用意した席は、意外にも他の席から少し離れた窓際の席。
 窓から見下ろす景色は、こんもりと生い茂る公園の杜はおろか、雑然とした街波をも遠くまで見渡せるほどの眺望。
「なかなかやりますね、彼」
「人は見かけで判断しちゃいけない、って学校で習わなかった?」
 でも、と思わず苦笑してしまう。
「ちょっと、……あの耳はぁ」
「うん、実際にピアスしてるところを想像すると、ゾクゾクするよね。きっと、リングタイプのヤツだと、バインダーみたいになって壮観だよ」
 そう言って、彼は人の悪い笑みを浮かべた。
 改めて窓の外に目をやると、確かに六階からの眺望はなかなかの絶景、なのだけど。ちょっとだけ残念なのは、さりげなく私の職場が視野に入ってしまっていること。
 少しだけ、罪悪感。
 気を取り直して、入口に置いてあった販促用のリーフレットに目を落とすと。さすが夏のフェアを謳った内容だけあってか、涼しげなガラスの器に盛りつけられたメイン料理と水面をイメージさせる画像が印象的だ。キャッチコピーのフォントもさりげなく透過加工がされていて、無駄な主張が無いのも好印象。
 販売促進部でデジタルデザイナーとして食べていると、どうしてもこういう物につい手が伸びてしまう。もちろん、持ち帰ってしっかり研究するのは言うまでもない。
 今の仕事は天職だと思っている。でも、その反面、限界も感じている。
 たぶん私は、既に賞味期限の切れたデザイナーなのだろう。それでも、子どもと二人、生きて行く為なら、なんでもやらなければ。
「あ、これ旨そうかも」
 彼の声に、我に還る。
「どれです?」
「教えない」
 いいもん。やっぱり私はポスターのイチオシ、フカヒレの姿煮冷麺にしよう。ここでブレてはいけない。どうせ後で後悔するのだから。よし。
「すみませーんっ!」
 ぷっと、吹き出す声が聞こえた。はっとして視線を泳がすと、向かいに座る彼がうつむいて肩を震わせている。少し離れたのテーブルのカップルも、唖然とこちらを見ていた。
 大きな窓ガラスに映る私の姿は、テーブルから立ち上がってめいっぱい腕を振り挙げていた。まるで、定食屋で注文する時みたいに。
 顔面がぶわりと熱くなるのがわかった。
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