サニーサイドアップ
3.
大きめのおにぎりの中には焼き鮭が入っていた。手で握ったおにぎりの味がする。まるでコインを入れるような小さなタッパーには茄子と白菜ときゅうりの漬物が綺麗に並んでいた。ポットの中には豚汁がちょうどお椀一杯分位入っていて、弓音はそれを自分のマグカップに入れて啜った。
(美味しいじゃん…)
弓音はマグに浮かんだ銀杏切りのニンジンをつまんだ。
(安くて美味しい、ねぇ。)
弓音はニンジンを口に放ってマグの中をくるくると掻き混ぜた。味噌の香りが立ち上る。
「安くて美味しい弁当屋が来る」と聞いた。お茶室の女の子達が口々に言う。ここ数ヶ月のことだ。弓音は大概弁当を持ってくる。おにぎりだけの時もあるし、おかずだけの時もあるが、とにかくできるだけ外食にならないように気をつけていた。経済的なこともあるし、健康的にもそれがいい。そんな理由を考えないでいられる程若くないのだ、とお茶室で弁当をつつきながら思う。
ただ、今日は先週来大きな案件が決まり残業が続いていたせいで遅刻ギリギリに起きたのもあって弁当を持ってこなかったので、その「安くて美味しい弁当屋」に行ってみようと思った。弁当屋のおにいさんがなかなかのイケメンだという子もいたが、既婚の弓音にはあまり関係のある話ではなさそうだった。「お兄さんじゃなかったと思う」という子もいて、じゃぁ、何歳くらいからおじさんで何歳まではお兄さんだとかなんとかいう話になったところで、弓音は財布だけもってお茶室を出たのだった。
(まさかその感じのいいおにいさんがダイモンだとは思わなかった…)
弓音はマグカップの豚汁を啜った。柔らかい大根が口に入った。つい数十分前のケータリングカーの前でのやり取りをもう何度目か思い出す。
『はい、これ』
そう言ってランチバッグを手渡した大門は、少し日に焼けて以前よりも少し精悍になった感じがした。近くでよく見てみると、セルフレームに隠れて目じりに小さく笑い皺があるように見えた。
『…え?でも、これ、ダイモンのじゃないの?』
弓音は黒いバンダナ模様のランチバッグをぐいっと航に押し返した。
『そうだよ。』
航は答えながらさりげなく体をよけて、ケータリングカーにもう一度頭をつっこむとごそごそ、ごそごそと運転席と助手席の間やら、グローブボックスやらを探っていた。
『い、いらないよ。別に、コンビニでもいいんだし』
弓音は頭半分車の中の航に聞こえるように少しだけ大きめの声で言った。航はぴたり、と止まって
『あんたねー、俺の手料理をコンビニと一緒にしないでくれるかなあ。』
と、不機嫌そうにこちらを振り向いた。
『そうだね、コンビニに失礼だわ。』
何年も経っているのに、そんな悪態が自然とついて出てくる。
『ばーか、ばーか』
向かって左側の頬にできる小さな笑窪。懐かし過ぎた。隠し切れない過去を愛おしむ気持ちを航には見せないようにと俯いて、航から渡されたランチバッグを睨みつけていた弓音を、まるで知らん振りするように帰り支度を始めた航は、なにやらぶつくさ言いながら片づけを終えて運転席に飛び乗り、
『ゆみさん!』
と、昔と同じように弓音を呼んだ。急いで運転席の航を見上げると、航は中指でセルフレームのブリッジを持ち上げて、親指を立て
『水曜日はここに来るんだ。』と言った。
それから、『お前に売る弁当はないけどな!』と笑って、『ばーか!ばーか!』と言いながら走り去って行った。
『ガキ…ばっかじゃない…の』
呟いた「いつもの」一言が、航には届かずに宙ぶらりんになって、弓音は回れ右をして会社へ戻ったのだった。
(美味しいじゃん…)
弓音はマグに浮かんだ銀杏切りのニンジンをつまんだ。
(安くて美味しい、ねぇ。)
弓音はニンジンを口に放ってマグの中をくるくると掻き混ぜた。味噌の香りが立ち上る。
「安くて美味しい弁当屋が来る」と聞いた。お茶室の女の子達が口々に言う。ここ数ヶ月のことだ。弓音は大概弁当を持ってくる。おにぎりだけの時もあるし、おかずだけの時もあるが、とにかくできるだけ外食にならないように気をつけていた。経済的なこともあるし、健康的にもそれがいい。そんな理由を考えないでいられる程若くないのだ、とお茶室で弁当をつつきながら思う。
ただ、今日は先週来大きな案件が決まり残業が続いていたせいで遅刻ギリギリに起きたのもあって弁当を持ってこなかったので、その「安くて美味しい弁当屋」に行ってみようと思った。弁当屋のおにいさんがなかなかのイケメンだという子もいたが、既婚の弓音にはあまり関係のある話ではなさそうだった。「お兄さんじゃなかったと思う」という子もいて、じゃぁ、何歳くらいからおじさんで何歳まではお兄さんだとかなんとかいう話になったところで、弓音は財布だけもってお茶室を出たのだった。
(まさかその感じのいいおにいさんがダイモンだとは思わなかった…)
弓音はマグカップの豚汁を啜った。柔らかい大根が口に入った。つい数十分前のケータリングカーの前でのやり取りをもう何度目か思い出す。
『はい、これ』
そう言ってランチバッグを手渡した大門は、少し日に焼けて以前よりも少し精悍になった感じがした。近くでよく見てみると、セルフレームに隠れて目じりに小さく笑い皺があるように見えた。
『…え?でも、これ、ダイモンのじゃないの?』
弓音は黒いバンダナ模様のランチバッグをぐいっと航に押し返した。
『そうだよ。』
航は答えながらさりげなく体をよけて、ケータリングカーにもう一度頭をつっこむとごそごそ、ごそごそと運転席と助手席の間やら、グローブボックスやらを探っていた。
『い、いらないよ。別に、コンビニでもいいんだし』
弓音は頭半分車の中の航に聞こえるように少しだけ大きめの声で言った。航はぴたり、と止まって
『あんたねー、俺の手料理をコンビニと一緒にしないでくれるかなあ。』
と、不機嫌そうにこちらを振り向いた。
『そうだね、コンビニに失礼だわ。』
何年も経っているのに、そんな悪態が自然とついて出てくる。
『ばーか、ばーか』
向かって左側の頬にできる小さな笑窪。懐かし過ぎた。隠し切れない過去を愛おしむ気持ちを航には見せないようにと俯いて、航から渡されたランチバッグを睨みつけていた弓音を、まるで知らん振りするように帰り支度を始めた航は、なにやらぶつくさ言いながら片づけを終えて運転席に飛び乗り、
『ゆみさん!』
と、昔と同じように弓音を呼んだ。急いで運転席の航を見上げると、航は中指でセルフレームのブリッジを持ち上げて、親指を立て
『水曜日はここに来るんだ。』と言った。
それから、『お前に売る弁当はないけどな!』と笑って、『ばーか!ばーか!』と言いながら走り去って行った。
『ガキ…ばっかじゃない…の』
呟いた「いつもの」一言が、航には届かずに宙ぶらりんになって、弓音は回れ右をして会社へ戻ったのだった。