サニーサイドアップ
6.
 「ほぅ」
 と、飲めないビールを一口飲んで黒岩は赤い顔で少し仰向いた。女の子が羨ましく思うようなマスカラを刷いたような長い睫が瞬いて、レトロさを演出した豆電球の光を受けていた。
 「うん」
 と、弓音は焼き鳥を齧り取ってクルリと串を回して土の焼物の四角い皿に戻すと、残ったビールを一息に煽って、
 「生中くださあい」
 とカウンターに声を張り上げた。薄いタオルを巻いた無精ひげの男が弓音たちの方をちらりと向いて笑顔を見せ、また串を忙しなく回す手元を見つめながら「はいよー」と答えた。串焼きを焼く姿も、不潔に見えない程度の無精ひげも、野性味がある、という言葉で表現できるようなちょっと俳優のようないい男だ。
 弓音はカウンターから目をそらし、皿から齧りかけの串を取ってもう一口噛り付く。黒岩はビールジョッキを重そうに持ち上げて、また一口ちょい、と口にした。ジョッキを置いた手は赤い頬に頬杖をついて、やはり肉に噛り付いている。

 男女間に友情は成立するだろうか。もしその答えがここにあるとすれば、限りなく友情に近い形で向かい合う、あるいは並びあう男女というのが黒岩と弓音だと弓音は思っている。お互いに既婚であり、年が近く、仕事ぶりをよく知っている。愚痴をこぼしたり、励ましあったりしながら、たまにはサボったり、一緒にご飯を食べたりする。仕事のことだけではなくて家庭の愚痴をこぼすこともあった。それでも、結婚はいい、と黒岩はいつもちゃんとそうやって締めくくる。

 「中倉さんより二つ下ってことは、三十…四?」
 「うん。そう。34歳。」
 「若いんだろうな。自分でやるにしてはさ。」
 「そうかな。」
 「そう思うよ。中倉さん、俺は思うんだけど、人間には二通りいる…。」
 「うん。── 人間を二通りに分ける人間と、そうでない人間」
 弓音はいつも通りそう言ってやってきた新しいジョッキを「乾杯」と持ち上げ、ふたりはいつものように笑った。
 「そう、そう、それ言わないとねー、俺も言う気になれないからあ!」
 と、黒岩は笑ってひとつ咳払いをして
 「── つまり、リスクを物ともしない人間と、リスクに雁字搦めになる人間。」
 と、続けた。
 「その…だいもん?くん、のようにさ、ぱっと仕事を辞めてやりたいことをやってみようと思ってそれを実行に移せる人間と、それが失敗してしまったら、って思ってできない人間がいるよね。んで、ほとんどは後者なわけだよ…。で、やっぱり前者のような特別な人間ってのは生まれつきじゃないかなって思うの、俺は。その大門君も学生時代からそういう人だったんでしょ?」
 「んー…どうかなあ。」

 サークルの部室で、スーツ姿の弓音に「就職活動か」とため息をついた航を思い出した。そして、スーツのジャケットを脱いだワイシャツ姿の航を思い出す。仕事の愚痴を言いあった8年前、「そんなもんだろ?」と言った彼は笑顔だった。その笑顔は、今日ケータリングカーの前で笑っていた彼の笑顔とどれくらい違っていたんだろう。

 黒岩は、ビールのジョッキをぐいっと傾け、自分が如何に小物でサラリーマンに向いた人間であるのかを語り、でもそれが俺の幸せ、と締めくくった。
 
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