ジャンヌ・ダルクと女騎士

希望

 ……これでは、祖国で妻を娶(めと)り、幸せに暮らせ、とは言えぬではないか……。
「では、私はこれで……」
 そう言って、今度こそジェイコブがそこを後にしようとすると、アルテュールは再びそれを止めた。
「待て! その……すまん……」
「何をおっしゃいます、閣下! 私は、閣下のお役に立てるのが何よりの喜びで……」
「シモーヌのことなのだが……」
 アルテュールのその言葉に、ジェイコブの体がピクリと反応した。
「今の乙女のことがひと段落すれば、見合いすることとなる。まぁ、それまでに陛下がせっついてこられると、早まるかもしれんが……」
「さ、左様でございますか……」
 そう答えるジェイコブの声は、上ずっていた。
 それもそうだろう。この当時、嫡子でなくても、貴族の血を引く者が「見合い」をするとなると、それはもう「結婚が決まった」ということなのだから。
「……すまんな……」
「何をおっしゃいます、閣下! 私は……私はそんな……お嬢様のお元気なお姿を拝見出来るだけで充分……」
「そなたが貴族であれば、いくら陛下の薦めといってもお断りし、あの娘を娶(めと)らすのだが、こればかりは、どうもな……」
「い、いえ……。閣下が先程から何度も言い辛そうになさっておられたのは、このことだったのですね……」
「うむ……」
 そう答えるアルテュールもうつむいていた。
「私ならば、大丈夫でございます。既に出家した身。この生涯を賭(と)して、修道士としてリッシモン家に尽くす所存でございますから」
 だが、ジェイコブのその言葉に、アルテュールは溜息をついた。
「私はそなたにも幸せになって欲しいのだ。人の生涯は、長いようで短い。私に忠誠を誓ってくれるのは非常に嬉しいのだが、人としての生(せい)をまっとうし、幸せを享受して欲しいのだ。分かるか?」
「はい……」
 そう答えるジェイコブの目には、再び涙が溜まってきていた。
「私は、お嬢様があのバートという男のものとなられた時から、既に覚悟しておりました。その想いを断ち切る為にも、修道士となることを決めたのでございます」
「やはり、そうか……。苦労をかける」
「いえ、そんな……。勿体のうございます」
 ジェイコブはそう言うとうつむき、溢れた涙を拭(ぬぐ)った。
「私が言うことではないのかもしれんが……その、一度、きちんと告白しなくてもよいのか? その方が想いが吹っ切れたりするであろうに」
「よいのです。お嬢様は最愛の方を亡くされたショックからようやく立ち直られたばかりなのです。そんな方に告白などしては、又余計な想いをさせてしまうだけです」
「強いな、そなたは……。私は、なかなかその様に思うことが出来なかった……」
 アルテュールはそう言うと、溜息をついた。
「奥方様のことでございますか? 奥方様とは、もう意志が通じ合われたのではありませんでしたか?」
「ああ。だが、あやつの体はもう……。私がもっと早く素直になっていれば、あの様に負担をかけずに済んだやもしれんというのに……」
「閣下……」
 ジェイコブが悲しそうな表情でそう言うと、アルテュールは作り笑いを浮かべた。
「まぁ、愚痴もこれまでにしよう。我らには、やらねばならぬことがあるからな」
「はい……。ですが、何かありましたら、私をお呼び下さい」
「修道士だものな。私の告解も聞いてくれるか?」
「はい、何時でも」
「ありがとう」
 アルテュールがそう言って微笑むと、ジェイコブも微笑み返してその場を後にした。
「ふぅ……」
 それを見送ると、アルテュールは溜息をついた。
 実は、私自身もマルグリットとうまくいっていない時、シモーヌを養女ではなく、愛妾にしようかと思ったことがあるのだが、姪に手を出すわけにもいかないので、諦めたのだ。だから、バートという男と恋仲になったと聞いた時は、寂しい反面、どこかほっとしたところもあったのだが……これは、口が裂けても言えんな。私の胸の内にだけしまっておいて、墓場まで持っていくとしよう。ジェイとシモーヌが、其々の幸せを掴むことを願って……。
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