ジャンヌ・ダルクと女騎士
28章 ラ・イールとジル・ド・レイ

憤怒(ラ・イール)

「だから! 陛下が動かれぬのであれば、我らが動けばよいのだ!」
 その頃、オルレアンの街の酒場では、一人の男がそう叫び、立ち上がっていた。その顔を真っ赤にして。
 古仏語で「憤怒」を意味する"La Hire"(ラ・イール)とあだ名されるガスコーニュ出身の男、Etienne de Vignolles(エティエンヌ・ド・ヴィニョル)。彼が、その日tであったが、その顔が赤いのは怒りのせいなのか、はたまた、単に酒を飲みすぎたからなのかは分からなかった。
 分かっているのは、彼よりもずっと不機嫌そうな表情の男が、その隣で共に酒を飲んでいることだけだった。
「おい、ジル、お前も何か言ったらどうなんだ!」
 ラ・イールに「ジル」と呼ばれた不機嫌そうな男は、ジロリと彼を鋭い視線で睨みつけると、持っていたジョッキの中身をグイと一気に飲み干した。
 通称Gilles de Rais(ジル・ド・レ)。百年戦争の前半戦で、ゲリラ戦法によって英国軍に痛手を負わせた、Bertrand du Guesclin(ベルトラン・デュ・ゲクラン)の曽姪孫だった。本名は、Gilles de Montmorency-Lavel(ジル・ド・モンモランシーラヴェル)。オルレアンで、ラ・イールやジャンヌ・ダルクと共に戦った男でもあった。
「全く、陛下はあんなに活躍なされたリッシモン元帥もその地位を剥奪された上に、乙女もほったらかしとは、何をお考えなのだ! 乙女がいたからこそ、ランスで戴冠出来たというに!」
「フン、まぁ、我が身の保身だろうな」
 冷ややかにそう言うと、少し白っぽい髪が混じった黒髪の男は、無言で空になったジョッキをカウンターの中の男に見せた。
 それを見て、無言で酒をつぎ足すマスターに、ジル・ド・レはニヤリとした。
 彼にとってはそれが「満足」か「それで良い」という答えとなっていた。そうすることによって、大部分の者から嫌われていたが、そんなことなど、彼自身は全く意に介していなかった。
 この後、彼は自分の領地に戻り、黒魔術にハマり、若い少年達をなん百人も拉致して虐殺し、それが聖職者にまで及んで公開裁判で絞首刑となり、後世では「青髭」のモデルにされたのだが、その片鱗がこういう所に表れていたのかもしれない。
「ジル……お前は、どうしてそういう風にしか考えぬのだ?」
 だが、そんな彼を他の者と変わらぬ態度で接する唯一の人物、ラ・イールはそう言うと、溜息をついた。
「どう言葉を飾り立てたところで、真実は変わらぬ」
「それはそうだが……」
 ラ・イールはそう言うと、再び溜息をついた。
「せめて、リッシモン元帥とは仲違いするな! あの方は、お前の従兄に当たられる方なのだろう?」
「あいつは、もう元帥でも何でもない。よって、機嫌をとる必要も無い」
「しかしだな……!」
「ついでに言うと、親戚になりたくて、なったわけでもない!」
 そっけなくそう言うと、再び自分のペースで酒を飲み始めるジル・ド・レイに、ラ・イールは溜息をつくと、その隣の席に座り直した。
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