ジャンヌ・ダルクと女騎士

名前だけの「大元帥」

 ――シモーヌの話は、リッシモンの幼少期から始まった。といっても、今十七歳の彼女が、二十歳年上のアルテュールが幼少の頃のことなど知りうるはずもなく、人づてに聞いたことだったのだが。

 Arthur de Richmont(アルテュール・ド・リッシモン)は、一三九三年八月二十四日にブルターニュ公ジャン4世とジャンヌ・ド・ナヴァールの次男として生まれた。
 だが、母ジャンヌは亡命してきていたヘンリー(オブ)・ボリングブロク(後のヘンリー4世)に誘惑されて、姉達を連れてイングランドに渡り、その妻となった。アルテュールと兄、ジャンはフランスに残され、父の遺言通り、クリッソン元帥が後継人となって保護し、その後、オルレアン公シャルルとブルゴーニュ公フィリップ2世が後見人を務め、兄のジャンはジャン五世として公位を継ぎ、アルテュールも十二歳で初陣を果たした。
 だが、一四一五年十月、アルテュール二十二歳の時に起こったアジャンクールの戦いで、負傷した彼は、母のいるイングランドに連行され、「アーサーの名を持つブルターニュ人がイングランドを征服する」という迷信を気にしていたヘンリー五世により、母ジャンヌと共に人質同様の生活が続いていた。
 やがて、そのヘンリー五世が亡くなると、叔父であり、後見人にもなっていたベッドフォード公ジョンに侮辱されて怒ったアルテュールは、イングランドを後にし、フランスに戻ったのだった。
 だが、その虜囚時代にも密かにブルターニュ公国やフランス王家と連絡をとっていたアルテュールは、シャルル七世の妃、マリー・ダンジューの母、アラゴン王女ヨランド・ダラゴンの信任も得ていたので、フランスに戻った彼は「元帥」の地位についたのだった。
 その元帥connetable de Franceは、王に次ぐ二番目の地位であり、戦時下では国王を上回る指揮権を持っている上に、国王入場の際には抜刀して先導する名誉な役職であったが、シャルル七世には疎まれていた。
 そして、先年もシャルルの寵臣を相次いで処刑したことで、より一層、彼への風当たりは強くなり、彼自身が筆頭侍従に推薦したラ・トレムイユにも裏切られて、宮廷から追放され、実質的な権限を停止させられてしまっていた。
 ――それが、シモーヌの兄、アルテュール・ド・リッシモンの置かれている現状だった。

「……ということは、元帥って言っても名ばかりなんだな?」
「ええ。今は職も追われている身ですので、兄のジャン公にお世話になっている状態です」
「しかも、それがお前の本当の父親なんだな?」
「はい」
 シモーヌは、苦笑しながら頷いた。
「ジャン公……父が、兄上……いえ、アルテュール叔父様のことを支援しないということはありえません。私のこともありますし、叔父様の指揮官としての度量も認めていますから。でも、ジャンヌ様のことなると、別です。あの方は……」
 そう言いかけると、シモーヌはチラリとドアを見た。
 それに気付いたバートは、そっとドアに近付くと、シモーヌの方を向いて唇に指を当てて「静かに」とジェスチャーをすると、サッとドアを開けた。
「うわっ!」
 どの位前からドアの傍にいたのか、ティーセットを持った女将が驚き、手に持っていたカップが床に落ちた。
「ああ、すみません。折角お茶を持って来て下さったのに」
 バートはそう言いながらチラリと女将の表情を盗み見た。
 だが、女将は赤い顔で割れたカップを拾いながら、少しバツが悪そうに謝るだけだった。
「い、いえ、こちらこそ、せっかく新婚さんが二人でいらっしゃる所をお邪魔しちゃって……おほほほほ」
 その表情に嘘は無いと、バートは直感で感じた。
 何だ。俺達二人がイチャついてると思って、ドアの外で聞き耳立ててただけか……。
 そう思って、彼が口の端を引き攣らせながら作り笑いを浮かべた時だった。
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