4月1日
明日も仕事だ、早く帰ろう。
氷さえ無くなった空のグラスをテーブルに置き、帰り支度を始める。
座敷に腰掛けたまま履き慣れた黒いパンプスに足先を突っ込んでいると、ふいに低い声が後ろからかけられた。
「岡部、おまえさ、仕事辞めるなよ」
振り返らなくてもわかる。
少し乾いた、でも心地良い曽田の声だ。
会社に入った時から、5年間ずっと側で聞いていたから。
なんでこのタイミングでそんなこと言うかな。
不覚にも視界が滲み、顔を上げることができない。
「岡部のことは、俺がちゃんとわかっているから」
だから、何?
口を開けば声が震えてしまいそうで、ぐっと唇を噛み締めた。
曽田はいつだってちゃんと周りが見えている。
適材適所、仕事の振り方ひとつにしても適切だ。
少しハードな仕事を割り振って、扱き使ったりたまに手伝っているフリしながら本人の能力を伸ばそうとしている。
飴と鞭じゃないけれど、頑張った仕事に結果がついてくれば達成感とやる気がでて次へと繋がって行く。
最初は、自分の力だと思っていた。
私だってやればできると慢心していた。
だけど、何度か一緒に仕事をするうちに、曽田のサポートがあってこそだと気が付いた。
決してそれを口にすることはないけれど。
曽田は、そういう奴だ。
そんな曽田に、私が敵う訳がない。
「……あんたなんて、キライよ」
気が付けばボロボロと涙とともに気持ちが零れていた。
乱暴にパンプスを履くと、店を飛び出した。
日付はもう4月2日に変わっているだろう。
終電も逃したかもしれない。
だけど、行く当てもなくてとりあえず駅までの道を走る。