まだ、心の準備できてません!
「美玲ちゃん」


トワルを出て、自転車のカゴにバッグを入れていると、背後からセクシーさを感じる低い声がした。

それすらも小憎らしく思えるけれど、とりあえず振り返る。


「まだ何か用ですか」

「お礼なんかいいのに、律儀に言ってくれるから思い出してさ、あの夜のこと」


仏頂面をする私に、夏輝さんは余裕の笑みでこちらへ向かってくる。

やめてよ……あなたに近付かれると、なんだか勝手に心臓が騒がしくなるから。

そう思いながらも、自転車があってまた動けず、夏輝さんが長い脚を五歩進めただけで距離を詰められてしまった。

そして彼はずいっと顔を近付け、反射的に顔を背けた私の耳に妖しく囁く。


「ベッドで乱れた君も可愛かったよ」



…………ベッドデ乱レタ君モ可愛カッタヨ?

同じ言葉を何回か反芻して、意味を理解した瞬間、身体中の毛が逆立つような感覚を覚えた。


「はぁぁぁ!? なっ、な、何言ってるんですか! 何もなかったでしょう!?」


ガシャン!と自転車を倒しそうになりながら、よろめく身体を支え、これでもかというほど目を開く。

そんな私の動揺っぷりに、おかしそうに吹き出した夏輝さんは、ちょっぴり悪戯な目をして言う。

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