ひと夏の救い
よし、よし。
とりあえず集団から離れることには成功したわね。
大したことでは無いけれど、それでも一応人を騙すという慣れない行為に私の心臓は想像していたよりも分かりやすく跳ね続けていた。
暗い学校の静かな夜は、どれだけ抑えようとしても履いている靴の擦れる音が微かに出てしまう。
少し汚いけれど、そっと靴を脱いで片手に持ち、靴下になって歩くことにした。
あまり長引くと変に思われるかもしれないわ。急ぎましょう。
ドクドク血の流れを感じる胸をもう一方の手で抑えていると、妙に感慨深い気持ちになった。
当たり前だけど、私は生きているんだなと思った。
こんな風にどきどきして、嫌な汗が浮かぶことは私にとって多いことでは無かったから。
お仕置で物置に閉じ込められた時も、泣いて謝るばかりでむしろ両親の機嫌を損ねていた事はすぐに気付けなかった。
何回も同じことを繰り返す私にそれでも同じことをするから、だんだん泣いても謝ってもしょうが無いのかって思うようになったはいつからだったか。
だからどきどきとかっていうよりも恐怖と絶望だったし、嫌な汗が浮かぶ前に涙か目から溢れて止まらなかった。
『読書百遍義自ら見る』ではないけれど、何も言われずともそう何度も続けば、自ずと両親の機嫌を治す方法も分かってきた。
まず、言い訳をしない。「大抵の事は、あなた(私)が悪いに決まっているのだから。」
次に、大声で騒がない。「近所迷惑だしうるさくてこっちがイライラする」から。
そして、言われたことに口を挟まない。「はいと言いなさい。どうせ正しいことなんて貴方には分からないんだから。」
あの時もそう。小学3年生のころ。
私は運動が苦手だけれど、かけっこしたり鬼ごっこするのが大好きだった。
それを久々に一緒に食べた夕飯の時につい嬉しくて話してしまったら、母親の目は凍った。
「手を怪我したらどうするの!」
その時ちょうど、ピアノの演奏会を控えているときだったから、余計にダメだったのかもしれない。
あまりの剣幕に、私は悪いことをしたんだと理解した。それからは一切走ったり手を怪我してしまう恐れのある運動は体育の授業でさえしていない。
これはダメ。はい。
それもダメ。はい。
これはしなさい。はい。
これが正しい親子の形なのか、私には分からない。それしか知らないから。
ただ、周りの子達が話しているのを聞いている時、親子で旅行に行ったり、お買い物に連れて行ってもらったり、そういう風なことは私はした事ないなと、そう思った。
お父さんもお母さんもお仕事で忙しいのは知っているから。『私は物分りのいい子』だから。全然気にしてない。
ただちょっと…ほんの少しだけ、羨ましいと思っていたのは、覚えてる。
そして5年生のあの時から、私は他人を信じられなくなった。