ひと夏の救い
意気揚々と語り続ける男に表情筋の疲労を感じつつそれを押して何とか頷いていく。

そろそろかしら…？

ちら、と自分の腕を掴んで身動きが取れないよう阻んでいた男の手を見遣ると、話に夢中になって揺れたり口調に合わせて跳ねる以外、ほとんど拘束力がない程に力が緩まっていた。

予想というか、予定通り。
ごくり、と男にバレないよう緊張で口内に出た唾液を呑み込んだ。
そっと綿毛が浮かぶように、鍵盤を叩く手を柔らかに引く時のように軽く動かして自分の手を少し外す。

この調子で外していって、最後はフェイントを狙って走り出す。そこからは出来るだけ早く遠くに走り、男を撒いてから近くの公衆電話で警察に通報。そこまでが私の考えだった。

大丈夫。私なら出来る。数学の応用問題を解くより簡単な策よ。

つうと背中を伝う冷や汗に奥歯を噛んで、男の話を完全に聞き流しながら、あと少し、もう少し、と手を抜いていたその時。

ふと男の声が止まった。まさかバレたかとどっと汗が吹き出すも、男の注意は私では無いようだった。

素早く手を掴まれてまた振り出しに戻ったことを嘆く暇もないまま、さっきまで上機嫌だった筈の男に口を塞がれ後ろに引き摺られる。

扱いが乱暴なのは今更として、今度は一体何をされるのか、ああ、さっきの作戦とも呼べぬ策ではやっぱりダメだったのね、と今度こそ顔の歪みを抑えなれなくなりそうだった時、足音がした。
複数人いる。それを聞いてハッとなった。


もしかして、今来ているのは…？


< 128 / 145 >
表紙・目次

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop