ひと夏の救い
再会
パッヘルベルのカノン。
澄晴は私の手を引いて椅子に座らせた後、
おもむろにそれを弾き始めた。
すっと耳に馴染む、心地良い音色。
突然弾き始めたにもかかわらず、
その事を口に出すことで演奏が終わってしまうことを恐れて
誰も言葉を発さない。
聞き覚えがあるなんてものじゃない。
これは、あの時、『すーちゃん』と一番良く弾いていた曲。
思わず自分の目が見開かれるのが分かった。
でも、だからこそ一人で弾かせちゃいけない。
このままじゃ足りない。
だって二人で弾いてこそ完成する
『私達の曲』なんだから。
目をつむり静かに息を吸って、吐く。
緩やかに手を持ち上げ、
鍵盤に優しく触れた。
澄晴の動きに合わせて
自分の指を操る。
初めて一緒に弾くはずなのに
一つ鍵盤を叩いたその時から
ピタリと隙間が合わさるように音が重なった。
相手の指なんか見てない。
音だけを聞いてる。
合わせようなんて思っていなくても、
ポトリと水面に落ちた雫が
瞬時に同じに交わるように。
誰かの息を飲む音が聞こえる。
誰かが息を忘れるほど聞き入っているのを感じる。
誰かが感嘆の息を漏らしているのが分かる。
耳が、全てを捉える。
そして全てを超えて、
ピアノの音から感情が伝わってくる。
嬉しい。
楽しい。
私もよ。と、ピアノの音で返した。
上品で繊細な曲のはずなのに、
澄晴の音からは無邪気さすら感じた。
音だけを聞けば
とてもチャラチャラした格好の男の子だとは
思えない。
そして何より
なつかしい
なつかしくて、嬉しくって、
涙が出そうになった。
口元が自然と綻ぶ。
こんな時間があった。
こんな音を知っている。
誰よりも何よりも大切で、
大好きだった。
でも、私が置いていった。
ごめんね、ごめんね。
でも、嬉しい。楽しい。
唇が震えそうになるけれど、
ぐっとこらえた。
涙で指先が見えずらいけれど、
場所は指が覚えている。大丈夫。
横にいる澄晴の表情は横目でしか目えない。
私と同じ様に泣きそうだったけれど、
なんだかとても幸せそうに笑っている気がした。