ひと夏の救い
固まった身体は自分の思う通りに動かせない。
氷になってしまったような気持ちになった。
一瞬で冷え固まって、でも頭はどこか冷静なまま。
逃げる、とか。
悲鳴をあげる、とか。
とにかく東雲君の方に後ずさるとか。
なにも出来ない。
暗闇の中、頭があって、腕と手があって、
腰と足の線がぼんやりとそこにある。
東雲君の懐中電灯はただ床を照らして、
この影を消し去ってくれない。
はくり、と口が小さく呼吸して、
自分でも分からない、何かを言おうと開き____
「こんな時間に、何をしているんだ?」
え?
東雲君の声にしては、
その言葉が発せられた意味が分からないし、
声のトーンが低くて、まるで大人の男の人のような_________?
「その本は、田口先生の物ですか?」
「はぇ、せん、せい??」
「何をしているのかと聞いているんだ。学級委員長」
東雲君が懐中電灯を私の目の前にいる影へ向ける。
足元から黒いスーツが照らされていって、
最後現れたのは、私たちを見下ろす、
ひそめられた眉の下にある厳しい目。
一年生の英語教諭、東雲君の担任である田口先生だった。
いつも不機嫌そうというか、
優秀な大学を出て就職先も決めていたはすが
いろいろあって中学校教員になってしまったせいで、
今になっても不満たらたらなんだとか。
…って澄晴が楽しそうに話していた気がするわ。
はっ、違う違う、ちがうわよ!
そんなことはどうでも良いの!
一気に目が覚めたような心地になって、
狼狽で定まらなかった焦点がパッと合う。
「俺達は…忘れ物をとりに」
「何を忘れたんだ」
「いえ、たいした物では無いんですが…」
「大した物でないならならなぜ明日にしなかった。親御さんに連絡はしているのか?今何時だと思っている」
「親には伝えてあるので心配しないで下さい。もうすぐ帰りますから」
「なら先生が送っていこう。夏とはいえ、外は暗い」
「大丈夫です!本当に、家、近いですし」
「しかし…」
「『予言の書』」
東雲君がたじたじになって来た所で、
先生の気を逸らすために本の名前を口にする。
というより、知りたい、確認したいことがあるのだけれど…
ピクリ、と田口先生の声が止まったことで、
手応えを感じた。
もしかして、とは思ったけれど、やっぱり…
「『予知の書』『神の書』『混沌』と書いて『カオス』『鎮魂歌』と書いて『レクイエム』『俺の……』」
「ま、待て!待ってくれ!!」
本に書いてあった中で印象に残った幾つかを
つらつらと述べてみると、
目に見えて焦った表情の田口先生が
心做しか息切れする勢いで私の声をかき消した。