泣き虫イミテーション
朔良は胸元を掴まれ、前のめりになったまま、触れあうほど近くにいる二衣を見つめる。その月の光を反射する黒い瞳には、心のうちをすべて知られていそうな気がしてくる。つやのある濡れた唇に吸い寄せられるようだった。
 胸元を引く手首を強く掴み、痛みに力の緩んだすきをついて体を起こす。

「あ、」

そしてまっすぐにたって、二衣を自分の体に引き寄せた。おろされた長い髪からシトラスの爽やかな香りがする。近づいた二衣の唇に、朔良自身の唇を近づけていき―――

―――重なる寸前で二衣の体を軽く突き離した。

「あんたは男をなめすぎだ。」

固い声で吐き捨てる。

「さっきの振り方だってそうだ。あんな挑発するようなこと言って、俺がいなかったら殴られてたかもしれない。
 今だって俺の理性が足りなかったら、キスした、かもだし、なんだったらもっと酷いことされるかもしれないんだ。
 そういう可能性ちゃんと理解しろよ。もっと自分のこと大事にしてやれ」

険しく眉をよせて、二衣に訴えかける。
しかし、二衣にはその言葉は届かないようだった。

「もっと酷いことって?」

面白がるように問う。

「ち、痴漢行為的な…」

「ふふっ、そこでそんな直接的じゃない表現を使う君には、」

そして朔良の鍛えられた胸板に指を触れる。

「心配要らないように見えるけどね」

朔良でも理解していた心臓の激しく動悸する音が、きっと二衣の指にも伝わっている。
慣れないことはするものじゃない。外周を走っていた時より激しい動悸が苦しい。

二衣が去ったあとで、一人苛立ちに壁を殴り付ける。

「…っんだよ、アイツは」
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