【好きだから別れて】
「おう歩!スロットで大勝ちしたから優しい兄ちゃんが歩夫婦に焼き肉おごってやるよ!」


「えぇ~今ぁあ!?」


「今だよ。早くしろ!」


近所に一人暮らししていた兄の誘いで、真也とあたしは兄に連れられ焼き肉屋へ行くはめになった。


真也と外食なんてダルいうえ、何を話せばいいか気苦労が絶えない。


重い腰をあげるのに時間がかる。


が、たまにはゆっくり兄と話したいし、ただ飯に釣られて来ましたも悪くない気がする。


「兄のおごりだ!食いまくろっと」


「あんまり高いのはダメだぞ!」


「ケチ。確か優しい兄ちゃんなんだろ」


「優しい兄ちゃんだ」


「ならどうしよっかなぁ」


「歩、冷麺なんか兄ちゃんはいいと」


「特上ロースください。あとガンガンカルビを」


兄を無視し、好きな物を注文してあたしはニヤニヤしていた。


真也と兄を同じ列に座らせ、対面式に妊婦のあたしが座る。


焼肉屋のくせ中華風の真っ赤なテーブルと店内のミスマッチ。


フカフカの紫の座布団が落語を匂わす作りなのも地味にウケる。


その座布団に深々と座り、箸を二人に配って透明なコップにつがれた水を勢いよく飲む。


その時。


着信音が右のポケットで鳴り、とっさに携帯を見ると見覚えのある番号が表示されていた。


――やっ、嘘!?かかってくるはずはないよ!


悠希の番号は真也と籍を入れた日消していたけど、忘れようがない番号があたしを求めてる。


切れてもしつこくかかってきて鳴り止まない。


お願い。


真也が目の前にいるの。


切ってよ。


お願い、切って!


「なんでとんないの」


すぐに着信をとらないあたしに苛立ったらしく、真也の表情が曇る。


「いや、別に…」


真也に元彼だなんて勘づかれたらヤバイ事態になってしまう。


結局とるしかない状況に追い込まれてしまい、あたしは平然とした顔を作り、震える手で通話ボタンを押した。
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