私の優しい人
「僕の運命はもう決まっているらしい」
 啓太さんは続ける。

「昔から親父と弟達の世話ばかりして、ずっとその姿をハラハラしながら見守ってきた。特に下の弟はやんちゃだったから、大変だったよ。その役目がやっと軽くなったと思った時、里奈ちゃんに出会った。結局僕は、誰かの心配をしてその背中を見守る役からは、逃れられないんだ。ぼくは一生、君の背中を見守りながらも心配し続ける。
 大丈夫かな、ちゃんとやってるのかな、泣いてないかなって」

「何、それ……」
 不機嫌な振りをしたけど無駄だった。

「ちゃんと分かってるよ。家事も出来る。仕事も一生懸命。健康。そして母親思い。何より、優柔不断な僕を優しく受け入れてくれる懐の深い人。そんな人、一人しかいない」
 彼の気持ちが素直に現れたかのような柔らかな口調。

「とにかく、そっちの駅に着いたらまた連絡する」

「うん」
 私は小さく何度も頷いた。

 彼の口にした言葉は、私が欲しかった全てだ。

「そろそろ電車が来るから、また――」
 電話が切れるかと思った直前。

「――そうだ。これからは6月の寂しさがちょっとは薄れるよ。家は男ばっかりで、そういう所は簡単に省いちゃうから、里奈ちゃんが気遣ってくれたら、親父も喜ぶ」
 耳障りな騒音と併せて、飛び込んできた声にはっとした。

 彼はやっぱり知ってくれている。

 口にしてなくても。
 6月。父の日。感謝しろ言われても感謝する人がいない悲しさを。


 目頭が焼けるように熱くなり、大きな涙が溢れた。

 拭っても、拭っても、フローリングの床を濡らす。

 大きく息を吸い込むと、力が抜けてその場に座り込んだ。

 通話は切れていた。


 私が慎重に守り続けていたものを、彼は簡単にこじ開けてしまう。

 そして私の複雑に尖った心を、瞬く間に慰める。

 暗い影にいる私の手を引き、明るい場所へ連れ出す人。
 意識せずにやってしまう人。

 そんな人、私だって一人しかいない。

 彼の言う通りだ。シンプルに考えればいい。

 転勤が多くて落ち着かなくて、喧嘩する事があるかもしれない。
 保護者みたいな口出しにイライラする日が来るかもしれない。

 仕事は辞める事になる。
 友達にも会えなくなる。
 母とも離れる事になる。

 それでも、結婚したい。

 それでも、私はこの優しい人についていきたい。

 握りしめた携帯が熱を持っている。


 焦らずゆっくり、こっちに来て。

 彼からの連絡を待つひと時。私は確かな幸せの中にいた。

 この幸福な時間に少しでも長く浸っていたい。

 だから、ゆっくり来て。

 啓太さん。
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