幸せそうな顔をみせて【完】
 いつもなら混む電車も思ったよりも空いていて、珍しく座ることが出来た。左手の時計を見ると取引先との時間にはまだ余裕があり、ホッとする。電車に揺られながら窓の外を見ていると、不意に昨日のことが思い出された。


「帰したくない」


 そんな甘い言葉と共に帰るその時までずっと抱きしめられていたから、今朝の副島新の様子が寂しく感じてしまったし、あの横を歩く女の子に嫉妬もしてしまった。認めたくないけど、私がこんなに憂鬱なのも、あの女の子に嫉妬しているから。公私混同をしない副島新の平静を保つ態度は正しいと思う。そうあるべきだし、そうでないといけないのも分かっている。それでも、恋心が邪魔をしてしまう。



 今は取引先に行く途中。今日は責任者に会うという大事な日だった。そんな大事な日に、憂鬱さを纏っていくわけにもいかない。



「切り替えないと」


 そんな言葉と共に立ち上がると、私はホームに降り立った。今から向かうのは大事な契約をしたいと思っている先。副島新が仕事で成果を上げているのを羨望するだけではいけない。私も…負けないように頑張りたい。無理はしないけど、でも。今の自分の出来ることをしたいと思う。駅から5分の距離にあるその得意先に私は足を前を向き、顔を上げ、足を踏み入れたのだった。


「お待ちしてました」


 そんな言葉と共に通されたのは、ある広めの会議室だった。私はプレゼンのために用意した資料をバッグの中から出すと、担当者が来るのを待っていた。


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