声紋
3 1980年1月14日

一夜明けて

 一夜明け、冬晴れの日差しが窓から射す。
 
 晋はコンビニでサンドイッチと500mlパックの牛乳を買ってくると、夢香はまだソファに眠っていた。

黒川 「おい、そろそろ起きろ」

夢香 「・・・うーん」

黒川 「朝メシ、食べよう」

夢香 「はーい」

 晋に揺すられ、夢香は目をこすりながら起きた。

黒川 「サンドイッチでいいよね、タマゴとツナだけど」

夢香 「うん」

黒川 「飲み物どうする?牛乳は買ってきたけど、コーヒーかココアならできるよ」

夢香 「ココアがいい」

黒川 「わかった、じゃあすぐ作るよ。ちょっと待ってな」

夢香 「ありがとー」

 晋はココアの粉と牛乳をコップに入れ、レンジで温めたホットココアを夢香に渡す。

夢香 「おいしいね」

黒川 「そうか。良かったな」

夢香 「うん、良かった良かった」

 満足そうな夢香の顔を見て、黒川の顔も少しほころんだ。

黒川 「ところで、どうするんだ?家に帰らなくていいのか?」 

夢香 「うーん・・・今日はいいや」

黒川 「今日はいいやって・・・お前家出じゃないんだよね?」

夢香 「うん」

黒川 「じゃあ、親は心配してるんじゃないのか?」

夢香 「うーん、わかんない」

黒川 「そうか。まあいいや。じゃあ・・・」

 晋は夢香の住所や電話番号、その他必要だと思ったことをいろいろ聞いた。
 夢香は当たり前のように晋の質問に全て答えた。

 夢香は5駅先のアパートに住み、ここまで歩くのに10時間かかっていることが分かった。
 そして父親は蒸発していなくなったらしく、いわゆる消極的ネグレクトの母親は誰の助けも借りないため、夢香はいつも放置されていることが分かった。
 しかし夢香は母親の障害的な部分の遺伝を引き継いでいるのか、精神的に幼く、自分の境遇の不幸さにあまり気づいていない。
 周りが気付いていれば良かったのだろうが、社会との関わりを半ば絶っているような夢香の家庭のことなど、当時の社会は当然無関心だった。
 だから夢香も自分の今の生活が普通だと思っていて、普通とはかなり違う環境だとは思っていなかった。

黒川 「夢香の好きなことって何だい?」

夢香 「歌かな」

黒川 「へえ、そうか。私はピアノを弾くことが好きなんだ。」

夢香 「ピアノ弾けるんだぁー、いいなあ。聞きたーい」

黒川 「フッ、じゃあ夢香が歌うなら弾いてあげるよ。何か歌えるか?夢香は邦楽?洋楽?」

夢香 「よくわかんない」

黒川 「ああ、そうか。じゃあ曲の名前でいいよ。知っていれば弾けるから」

夢香 「じゃあ『浜辺の歌』」

黒川 「童謡だよね、それ」

夢香 「うん」

黒川 「わかった、じゃそれな」

夢香 「うん」
 
 晋はキーボードで『浜辺の歌』弾いた。すると夢香は聞いていたが、晋がタイミングで歌えるように指示すると、夢香は歌い始めた。

夢香 「あした浜辺をさまよえば~」

 晋はその時、初めて感じる衝撃に襲われた。
 窓から射す光が歌っている夢香の全身を包み、清らかで透き通る天使のような声、その姿はまさに歌姫(diva)そのものだった。
 晋は感動してしまった。

黒川 「びっくりしたよ、ものすごくうまいじゃないか」

夢香 「やったー」

黒川 「他に何が歌える?もっと聞かせてよ、たくさん弾くから」

夢香 「うん、いいよ。じゃあねぇ・・・」
 
 夢香が歌える歌の大半は童謡かアニメの主題歌だったが、晋はその透き通る声に沸々としたイメージが一気に爆発した。
 キーボードを弾きながらも、夢香に歌ってほしいと思う新しい楽譜が、晋の頭の中で一気に出来上がっていった。

黒川 「すごいよ。じゃあ今、曲を作ってみたからさ、ラララでいいからついてきてご覧」

夢香 「うん」

 夢香が晋のキーボードに合わせ、「ラララ~」と歌ってみる。
 イメージ通り、綺麗に歌い上げる夢香の才能に晋の創作意欲は止まらなくなってしまった。
 夢香も楽しくて晋の言う通りにしてずっと歌った。
 それは夢香のお腹がすくまで、約5時間も続いた。
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