声紋
5 1980年1月21日

歌姫夢香の初舞台

 夢香はあれから毎日、晋が管理しているライブハウス「ロンリームーン」に通っている。
 晋は電車で来られるように、夢香に毎回500円札を一枚渡していた。

 夢香は電車賃を差し引いて余った140円でお菓子を買い、晋といつも「ハンブンコ」。
 晋は『お菓子はコンビニで買うから、買ってこなくていい』と毎回言うのだが、自分で選んだお菓子を晋とわけあうのが、夢香の楽しみになっていた。

 学校には一応行っていたようで、平日は制服のまま午後4時頃にいつもやってきた。
 ライブの時間以外は貸し切り状態なので晋の作った歌や夢香の好きな歌を練習し、ライブの時、夢香は出演バンドをずっと見ていた。

 いつも10時過ぎに帰ることになるのだが、消極的ネグレクトの母親は帰ってきていないらしい。
 たまに家にいるときも何も言わないそうだ。
 それゆえに晋は夢香のことが逆に心配になり、自分が面倒を見ているという気持ちが多分にあった。
 ただ、それ以上に夢香には可能性を感じていた。

 そして今日、ステージを借りるバンドが1つもなかったので、いつもは休業にするのだが、この日は特別に晋が入場フリーで夢香に初舞台を設けたのだ。
 ドリンク代だけで入れるお得な日にしたわけだが、「YUMEKA」とだけ書かれた何の情報もない看板しか用意しなかったため、実際ライブ開始前にいたのはバンド関係なしに常連で来る男性3人に、晋目当てでよく来る女性2人だけだった。
 いつもは50~100人程度入るのに今日はまさにガラガラ。
 それでも良太がその場を仕切る。

良太「おまたせぃ、まあこんなもんか。でもね、今日来たみんなはラッキーだよ。うちの晋さんがピアノ弾くんだから。こんなの最初で最後かもしれないっすよ」

ギャル「えー、ホントすごーい。ギターじゃないんだ」

良太「そうそう、それだけでもすごいのに、今日は晋さんの秘蔵っ子のデビューなんだよね」

男性客「おっ、晋の女か?」

良太「そうそう、晋さん、彼女にゾッコンなんだから」

ギャル「えー、そんなの聞いてないよ~」

良太「まあまあ、そんなに怒んない。ちなみにこの良ちゃん、何も弾かずに今日は司会でーす。と言うわけで、早速紹介しよう。YUMEKAでーす・・・拍手」

 バンドの時は恰好ばかりつけている良太が、普段ではあり得ない普通の司会をし、いつもとは違う雰囲気のライブハウス。
 そしてそこには全然ロックでもなければ、ポップでもない普通の幼い顔の女の子が現れた。
 お辞儀をし、キョロキョロしたかと思うと、晋の方を見て、手で「おいでおいで」して呼んでいる。

男性客「何だよ、おい晋に娘がいたのか」

 場内はドッとどよめいた。

良太「んなわけないでしょ」

親父客「よっ、YUMEKAちゃん」

 笑い声が聞こえる。まるで宴会のノリだ。

良太「びっくりするなよ。今日は晋さんが彼女のために作った歌を披露するぜぃ」

 晋も現れピアノ椅子に座ろうとするも、自分の側まで近寄ってしまう夢香をマイクの立ち位置まで手をつないで連れていき、改めてピアノ椅子に着いた。

良太「それでは聞いてください、1曲目は晋さんがYUMEKAに出会ったその日に作り上げた曲『優しい歌』」

 晋がピアノを弾くと一気に静まり返った。
 晋はここではバンドの助っ人などでギターを弾くことはあったが、ピアノを弾くことはなかった。
 しかし本当はピアニストとして活躍できるほどの腕前を持っていた。
 なので、みんなその音をじっくりと聞いていた。
 
 そして、夢香が歌い始めると、女性二人が声にもならない感嘆の声をあげた。
 
 透き通る声、時には壊れそうで、それでも人々の涙腺に触れる心地よい響き。
 例えて言うなら『ナナ・ムスクーリ』が幼かった時に歌ったらこんな感じだったのだろうと。

 晋は一瞬で彼女の才能を見抜き、短時間で彼女を歌姫に仕立てあげたのだ。
 理由もなく女性二人は涙を流し、男性たちもとても感動していた。

 晋の思った通りの声を出すことができた夢香は、クラシックもポップスも晋の指導通りに歌いこなした。
 もちろん夢香の大好きな童謡とアニソンも2曲ずつ歌われた。

 計7曲、30分程度のステージを終えたとき、たった5人だったにも関わらず、みんなが最高の盛り上がりを提供してくれた。
 スタンディングオベーション。
 夢香はキョロキョロしていたが、笑って晋の方をずっと見つめていた。
 変な人見知りなところを見せて、一言も話さなかったが、その分良太がうまく司会をまとめ上げた。

 お客たちは今度歌うときは必ずまた来るとみんなが約束して、満足して帰って行った。 
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