elevator_girl

理由は単純で、嗜好する対象の基準は
物心つくより前の無意識下に作られるからである。
欠落感を満たそうとする例もあり、充足感の追体験を求むる事もままある。
環境も様々だから
偶然出逢って互いに認め合う、と言うのは
ほとんど物語の世界にしか存在し得ない。

...それゆえ松之に、焦燥感が生まれたとしても
誰が彼を責められようか。
それは、突然起こり、そして突然消滅するかもしれないものなのだ。

だから松之の心は不安に怯え、時には根拠無き至福感に満たされ、揺れ動く。
ずっと時が過ぎてから、懐かしく思い出せるような
素敵な瞬間を、彼は経験している。
いや、片想いとて深く恋える人に出逢えただけでもとても幸福なことだ。
それは、天文学的な数値になるであろう確率で起こった事、なのだから。



「アーッ!!!」
バスの運転手が大きな声をあげる。
夏名は、全身を硬くして視線は深町のオートバイへ。


バスの遙か前方を走っていたそれは、ハイウェイの高架下
カーブしているトンネルの中で大きくテール・スライド。
赤いブレーキ・ランプが雨に滲んでいた。


一方の深町は、落ち着き払っていた。
すべて、彼のイメージ通りの出来事だったからだ。
ハイウェイのガードを越えたところに、大学のバイク置き場があり
そこは向かって右手にあったから、軽く右ターンをしながら
テールを滑らせ、方向を変えようとした、それだけだった。

ただ、彼の思っているよりも路面が滑りすぎた。
深町は、ブレーキを緩めてスロットルを軽く開き
体勢を整える。そして、飛び上がるように立ち上がり
リア・タイアの荷重を抜く。
綺麗な放物線を描き、RZV500Rは右ターンを終え
彼から見て右手にあるパーキングに車体を滑り込ませる。


運転手が反射的にブレーキを踏み、停止していたバス。
運転手は我に返り、マイクでアナウンス。
緊急停止を詫びた後、白い手袋の右手で安全を確認し
おもむろにバスを丘の上キャンパスに向けてリスタート。
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