嘘と正義と、純愛と。
それを言われたあと、トンと背中を軽く押される。
一歩前に足が出たところで、ようやく後ろを振り返った。

さっきまで真後ろにいたはずの彼の姿がない。

嘘……! でも、今、確かに近くにいた。それなのに一瞬で消えるなんて現実にはあり得ない。じゃあ、どこに……。

開くドアと同時に並んでいた列に押され、気持ちとは裏腹に身体は電車へと運ばれていく。
必死に顔を回してあたりを探す。
車両に乗り込む順番が回ってきた時に、斎藤さんらしい背中を見つけた私は、無意識に人の波に逆らっていた。

「すみません……! 通してくださいっ」

頭で考えるよりも先に口が勝手に動く。
人をかき分けて流れから脱すると、斎藤さんを追って手を伸ばす。

「斎藤さんっ……!」

まだ慣れないパンプスで、辛うじて届いた指先が彼のスーツの裾を掴む。
ゆっくりと振り返る斎藤さんは、私が引き留めたことに眉ひとつ動かさず、驚いた素振りなんてなかった。

だけど、そんな小さなことも関係ないくらいに、私は必死な顔で彼を見上げる。

騒々しいホームの音も周りの人も、全部なくなった。
たったひとり、目の前の人だけに全てを奪われる。

そんななか、お互いに何も発さずにただ視線を交錯させるだけ。
でも、その後一瞬、彼が私から目を逸らした。

……どうして。
出逢ってからずっと、一番印象強かったのは斎藤さんのぶれない瞳だった。
その力強い目でいつでも私を引っ張ってくれてた。

その彼が目を逸らすだなんて、どんな理由があるのかわからない。
でも、きっと、私が何かしたってくらいしか考えられないから……。

「迷惑、みたいですね……私が近づくと」

そっと手を放して乾いた笑いを漏らす。
目の前にいるのに私を見てくれない横顔を見てると泣いてしまいそうで俯いた。
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