嘘と正義と、純愛と。
突然耳元で聞こえた低い声に、声を上げるよりも先に、身体を強い力で引かれた。
何が起こったのか理解することも出来ないまま、ただ左手を掴まれ、腰に手を回されて、広海くんの前から移動させられる。

誰……?!

心臓が止まりそうな出来事が立て続けに起きて、思考が追いつくはずがない。
見知らぬ男に抱き寄せられるけど、後ろ向きだから犯人の顔を確認することが出来ない。
その代わり、人ごみに紛れてビルの間に入った私から、広海くんが横切って行くのが見えた。

私の存在に気付くことなく――。

広海くんの姿が見えなくなって、肩の力が抜け落ちる。

……そんなこと、予想できてたことじゃない。
大体、私がここにいたこと自体に気付いてなかったわけだし。無視されたっていうのとはまた違うはず……。

そこまで考えて、ハッと思い出す。
未だに私を抱き留めるしなやかな腕。
この腕の主が誰か、まだ確認してない。

勢いよく振り返ると、てっきり逃げ出すのかと思っていた相手は逃げるどころか一歩も動かずに私を見下ろした。

「何してんの? さっさと逃げればいいものを」

深い瞳の色、強気な声。長めの前髪は少しクセがあるもの。

この人!

「前、電車で会った……!」

あの、帽子を被ってた男の人だ!

まさかの再会に目を大きくした私と違って、彼は至って冷静な感じで私を見据えている。

「お前、我慢するの趣味なわけ?」
「そっ、そんなわけじゃ」

……っていうか、さっき『逃げればいいものを』って言ってたよね?
それってどういう意味? もしかして、私の彼氏が広海くんだってこと知ってるの? なんで?
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