嘘と正義と、純愛と。
そうだよ。この田中さんて人は、斎藤さんに『頼まれた』って言ってた。

笑いかけられることもなく、ただ一瞥して去っていく田中さんの背中を私は見送った。
遠くなっていく彼女の後ろ姿を茫然と見つめていると、割り込むように斎藤さんが視界に入ってくる。

「あの……ごめんなさい。なんかもう、なにからお伺いすればいいのか、私……。今の田中さんって方は……?」
「田中……あぁ。彼女は俺の――仕事仲間みたいなもの」

仕事仲間? 本当にそうなの?
でも、本当なら、あんな危険を侵してまで私を助けてくれたんだ。もっとちゃんとお礼しておけばよかった!

後悔先に立たずとは言うけれど、本当にそう。
田中さんのことにしてもなんにしても、基本、後悔しかしてなさそうな私の生き方に自然とため息が漏れる。

私がひとりで肩を落としていると、斎藤さんは流れる車を眺めながら話し始めた。

「誰かに頼むってのは俺のポリシーに反するけど、今回はケースがケースだったからな。俺があの場に乱入したら、きっと場を収めるどころかまだ揉めてただろうな」

今回のケースって、どういうことを指してるんだろう?

心の中でそう思っていたことが、まるで口に出したかのようにそのまま伝わっていたみたいで、斎藤さんは盛大な溜め息を吐いて私に向き直した。

「お前さ。まだ自覚ないわけ? あの男はいわゆるDVだろ。あのタイプは、別れ話に男なんか同席させたら逆上するってのが一般論だ」
「D……V……」
「なに。此の期に及んで、『違う』とか言うか? だとしたら、相当おめでたいや、つ――」

歯に衣着せぬ物言いが辛くなったわけじゃない。
改めて、ハッキリとそう言葉にされて、いまさら震えがきたのは、今までの生活を思い返したことによる恐怖心が原因だ。

抱きしめるように両腕を回し、カタカタと唇を震わせる。
すると、震える身体ごと、すっぽりと斎藤さんの胸に抱きとめられた。
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