黄昏と嘘
あ!そうだ。
「あの、先生!こないだアタシ先生のグラス割ったじゃないですか?
それで、あの、お詫びに買いますから一緒に食器を見に行きませんかっ!?」
チサトは両手でメガホンを作るようにして、アキラの背中に向かって大きな声で叫ぶ。
きっと正面を向いていたら帰ろうとしている彼にわざわざ言えなかったかもしれない。
「お詫び?……そんなの気にしなくていい」
チサトはこの前の夕食の時に割ってしまった高そうなグラスのことを思い出し、そう声をかけたのだがアキラの方はそのことについてはあまり気にしていないようだった。
アキラが思い出したのはグラスのことよりもあの夜の一瞬、自分がわからなくなってしまったことだった。
あのときに動いた感情はなんだったのだろうか。
もう何年も長く、周りの見えるもの、聞こえるものすべて閉ざし、もう誰にも関わることを止め、過ごしていたはずなのに。
あの夜の出来事で。
自分の周りの壁を壊さず、冷静を保っていたはずなのに今は結局、チサトに振り回されているようにも感じる。
本来なら不快に思うはずなのにでもそれは何故か不快に思うこともない。
実際、こうして彼女と出かけることもしているのだから。
いろんなことを考えると余計に彼にとってチサトはわからない存在で不思議な子だと思わせた。