黄昏と嘘
「待ってください!」
チサトの声にアキラは思わずその場で止まる。
彼女はアキラが振り向いてくれるのをじっと待つが一向にその様子はない。
彼は振り向くことができなかった。
「先生・・・」
やっとの思いでそう言いながら、チサトはアキラの後ろ姿を見つめそっと近づいてゆく。
アキラはその気配を背中で感じ、ドアノブを握る手に再び力を入れ部屋の中に入ろうとしたとき、チサトは手を伸ばし、アキラの腕をつかむ。
びっくりした表情をしてアキラがやっとチサトの方を見たがチサトは何も答えず、意を決したような表情で彼の腕を掴んだまま歩み寄る。
アキラがチサトのほうに向き直り、彼女は彼の瞳をじっと見つめる。
彼女のその瞳は潤み、憂いを秘めており、戸惑う彼にチサトは視線をそらせることもしない。
彼女から目が離せない・・・。
彼はドアノブにあった手を下ろし、彼女の方へと向き直る。
何も言わないまま向かい合わせになってもふたりは互いに手を振りほどくこともせず、そのまま動くこともしなかった。
そんな中で少しづつアキラは彼の中で何かが崩れるような、そんな感覚に陥る。
それからチサトはそっと両手を伸ばしアキラの頬を包み込むように触れる。
たぶん、このときのチサトの頭の中は真っ白になっていたのだろう。
いつもと違うチサトにただ、ただ、アキラは戸惑うばかりだった。