黄昏と嘘
途中から何度も睡魔に襲われながらも難しい英文と格闘し、どれくらい時間がたったのか、ふと気がつくとチサトの前の席から話し声が聞こえてきた。
彼女がこの席についた時は周りには誰もいないはずだったのに。区切られているこのブース席のせいで気が付かなかっただけなのだろうか。それとも後から来たのだろうか。
とにかく近くに誰かいると気が散ってしまうし、席を移動しようかとそんなことを考えた時、再び聞こえてきた声。
……この声、小野先生だ。
そう理解した途端に彼女の胸は高鳴り始め手が震える。なんの話をしているのかとても気になった彼女はつい調べ物そっちのけで前の気配に集中する。
でも話し声は小さくはっきりとは聞き取れない。しかも会話は英語で行われているようだった。
何を話しているんだろうか。話を聞けば何も知らない先生のことをちょっとは知ることできるだろうか。
どんな些細なことでもいい、アキラのことを知りたい彼女は必死になって耳を澄ます。どうやら話し相手はリーディングのエドワード先生のようだった。
「…What will you do?」
(…どうするんだ?)
「…She is not concerned in the affair.」
(…彼女とそのことは関係ない)
「But…She is all in all to ….」
(でも…大切な…)
「…I understand it,…but…」
(…わかっている…でも…」
何?何の話?「彼女」って?今「彼女」って聞こえた?
なんの話をしているのかははっきりとわからなかったけれど、チサトはアキラから「彼女」という言葉が出てきたことに驚いた。聞えてきた言葉は「彼女」それから「大切」。もしかしたら先生には誰か大切な女性がいるんだろうか。
チサトは驚いた反面、でも意外と冷静にその言葉を受け止めていた。
もともと手の届くひとじゃないから、いつもそう思い、自分に言い聞かせてきた。でもこころのどこかで諦めきれず、それでも……いつか……少しでもいいから、なんてつい期待していた。チサトが彼を好きだという気持ちを取り消すことはどうしても不可能なことなのだ。
ダメだって言われるほど人間ってそれがほしくなる、とんでもなくやっかいな生き物だ。