軍平記〜女剣客、一文字〜
湖の奥深く、比叡山開祖・最澄が死闘の末調伏した九頭竜(くずりゅう)を封印した。
古の昔話になり、比叡山に言い伝えられている。
琵琶湖の中程には九頭竜の祠が祀られている。
不可侵の、人が住めないような場所として長きにわたり琵琶湖は、それ自体が御神体のように崇め奉られた場所だった。
湖に眠る九頭竜の毒気に充てられて、湖内の生物達は独自に進化し、狂暴化し、特殊な生態系を生んでいる。
その生態系に染まらない、解っていない者が訪れたならば、たちまち餌のように襲われ、朽ちていく。
叡山大僧正・最廉は若い頃、琵琶湖修行を行った時、とてつもない怪物と遭遇した。
二股に分かれた頭を持つ巨大な蛇の化け物だった。
言うなれば、四本足と背びれがあり、硬い鱗に覆われた竜のようである。
叡山に言い伝えられている絵巻物の一つに記されている九頭竜によく似た化け物だった。
秘伝の奥義と法力を駆使し、二股竜と対決した最廉。
調伏し、なんとか止めを刺し倒す事に成功した。
この時最廉は、方目を失っている。
余りの二股竜の強さに、自らの肉体の一部を供物として、その代わりに強力な法力を使い倒した。
その後も修行は続いたが、二股竜以上の化け物には遭遇しなかった。
最廉は凛に、この時の事を予め話しておいた。
凛も無論肝に命じ、それを踏まえた上での琵琶湖水練であったが、琵琶湖の特殊な生態系は、凛の想像を遥かに越えていた。
最廉が修行した時から、かなりの時間が過ぎて、九頭竜の毒気が以前よりもかなり増大し、生物は更に狂暴化していると言う事に、凛達は、気付いて居ない。
刀すら効かないムカデや、大蜥蜴。
琵琶湖水練は始まったばかりにして既に三名を失っている。
待ち構えている更なる未知の生物が、将校達に牙を剥き始める。
場所は変わって比叡山・延暦寺の本堂。
開山以来、一度も消えた事の無い火が激しく揺らめいていた。
火はやがて大小の膨らみを繰り返し、尚も激しく揺らめく。
その火番の僧侶も、ただ事ではないと感じて、最廉に報告に行く。
山かこの叡山周辺に異変が起きる前触れだと、最廉は理解した。
それは何者かによる呪詛が、火を乱していたからだ。
この時期に異変が起きるのは、明らかに天帝の存在を嗅ぎ付けた者の仕業であると、最廉は感じていた。