“毒”から始まる恋もある

ロビーを出る辺りで帰社した谷崎と鉢合わせして、一瞬息を呑んだ。


「帰んの? 刈谷」


眼鏡を直す仕草。それをもう嫌味なものだとは思えず、「う、うん」と戸惑った声しか出せない。


「そっか、お疲れ」

「谷崎はまだ仕事? 大変ね」

「まあねー。でも、仕事できる男になりたいし」


谷崎は意地悪な顔で私に笑いかけた。


「刈谷ごときに振られるようじゃ男がすたるしな」

「なっ、ごときって何よ」

「言葉通りの意味だよ。ガツガツしてたじゃん。簡単に落とせると思ってた」


ムカつく。
いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるでしょ。


「……でも、やっぱ里中さん偉大だったのかと思ってさ。俺も追いつけるよう努力しなきゃ」


笑っていう谷崎は、前より背筋が伸びていて、堂々としている。

私は、“努力”を真剣にできる人間は好きだ。
それがどんなことでも、頑張ろうと思えるってことは諦めていないってことだから。


「……ちょっと見なおした。格好良いね、谷崎」


素直にそう言うと、彼は眼鏡を再び直して、軽口を叩く。


「惚れた? 今更言ってきたって願い下げだけど」

「こっちこそよ」


軽い言い合いが出来たことでなんだかホッとする。
これは谷崎の優しさだったのかもしれない。


「じゃあね。また」

「おー、明日なー」


なんとなく、勇気をもらえたような気分だ。

皆、頑張ってる。
自分の向かう方向に向かって、常に努力を続けている。

だったら、私も尻込みなんてしない。
彼の気持ちがどうだろうと関係ないじゃない。

私は、私の気持ちに正直になるために、出来る限りの努力をするべきなんだわ。



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